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差別とヤクザ
私の体験
20数年前のことであるが、私は同和地区内のいわゆる同和企業で数ヶ月ほどアルバイトをしたことがあった。当然被差別部落民と呼ばれる人たちと毎日接することになる。その際に彼らと違和感を持つことが多かった。その一つは彼らのヤクザに対する寛容な態度であった。
「あそこの弟さん、手や足まで刺青していて、それは立派なもんやったよ。組でもかなりの幹部になってるらしいよ。」
「へー。それはすごいねえ。」
こんな会話を最初に聞いたときは逆説的ジョークかと思ったのだが、そうではなく本心からの感心の言葉であった。これでは差別されても仕方がないではないか、誰か注意する人はいないのかと感じたのだが、周囲の人々も全く同調しているとしか思えなかった。しかもこのような見聞は一回や二回ではなく、何回もあったのである。
この体験をしてようやく、解放運動団体が主張していた「清く正しく生きる部落民をなぜ差別するのか」に示される部落民像とは全く相反する部落民が、現実の目の前にいることを実感した。そしてその時以来、差別問題とヤクザとはイコールではないが、かなり関係のあることだと感覚的に思ってきた。
以上は前述したように、二十年以上も前の、しかもごく狭い範囲での体験である。部落民すべてがこのような人たちであるわけではないだろうし、多くがヤクザへの嫌悪感をもっているだろう。それは頭では分かっていながら、現実にはあのような部落民が多くいたことを体験した、ということである。
被差別民におけるヤクザの割合
ヤクザについて昔からよく言われる噂に「同和が3割、朝鮮が3割」というものがある。ヤクザ構成員の3割が同和出身者、3割が在日朝鮮人だという意味である。
部落解放運動団体は自らの同胞を300万人と称しているが、行政の同和対策事業の対象者は約100万人だそうだ。また在日朝鮮人(韓国籍・朝鮮籍)は現在約50万人であるが、10年ほど前までは65万人程であった。日本の人口は1億2千万人であるから、どちらも1%以下の存在である。従って3割という噂の数字は非常に大きいものであることが分かる。
それではこの数字は正しいものなのかどうか。
本格的に調べたわけではないが、同和の方は資料が見つからなかった。しかし在日朝鮮人の方は次の二つの資料を見つけた。
<会津小鉄会四代目高山登久太郎(本名・姜 外秀)への黄民基のインタビュー>
「 ━やくざの世界に在日韓国人はどれくらいいるか━
たぶん三割くらいだろう。会津小鉄は二割ほどだ。」
(朝日新聞社『論座』1996年9月号 11頁)
<ルポライター小板橋二郎の論考「在日ニューヒーローに感じる新しい風」>
「平成4年の暴対法施行以降、指定暴力団組長に在日コリアンが何人いるかを警察庁の発表資料で調べてみると、累計(平成5〜12年)三三団体のうち七団体がそのトップに在日コリアンをいただいている。…
三三団体中七団体なら比率で21%をこえる。少々単純すぎる試算ではあるが、在日の対総人口比0.45%を基準にすればその数はざっと四七倍。この世界での在日の活躍ぶりは日本人平均の五〇倍近いことになる。」
(講談社『現代』2001年1月号 211頁)
ともに実態2割という数字が出ている。3割というのはややオーバーで、実際は2割というところだろうか。どちらの数字にしても、大変大きなものであることには違いない。
差別があってもヤクザになってはいけない
前述の資料のうち、後者のルポライターの論考に次のような一節がある。
「在日が実力の世界で能力を発揮するのは、彼らが日本の社会の構造的な差別の壁に阻まれて制度のなかの組織から排除されているために、もともと潜在能力ある人材が実力の世界に飛び込まざるを得なかったからだ。
その意味で、ここにあげた数字は決して在日コリアンの恥にはならない。恥ずべきは、むしろ多くの在日マンパワーをアウトローの世界に押しやった日本社会側の構造差別のほうだ。」
これは冷静な分析ではない。ここでは引用していないが、その前後においてスポーツ・芸能界とヤクザとを同じように扱っている。つまり在日ヤクザを積極的に肯定するもので、しかもその責任を日本側に求める論考なのである。
私は在日一世のおばあさんから「自分の子供がヤクザにならず、真面目に働いてくれているので喜んでいる」という話を何回か聞かせてもらったことがある。在日の多くは、ほとんどの日本人同様にヤクザの存在について心を痛めている。そうであるのに、一流出版社の雑誌において在日ヤクザを肯定し、恥ずべきはわが日本にあるというような言い方がなされるのはいかがなものか。
30年以上前に、金嬉老というヤクザが2人を殺害して静岡県の寸又峡温泉の旅館に人質をとって数日間立てこもる事件があった。金は裁判おいて、おれが犯罪を繰り返したのは日本社会の民族差別のせいだ、だから無罪だ、と主張した。この愚かな考え方が今なお脈々と生きつづけている。
差別があろうがなかろうが、また在日であろうが日本人であろうが、ヤクザになってはいけない。ヤクザになるのは本人の責任である。日本社会の構造差別を理由に彼らを正当化するのは、とんでもないことだ。
在日ヤクザは、彼らが日本社会で生まれ育ったという意味で日本人にとって恥ではあろうが、在日とってはもっと大きな恥なのである。
(追記)
拙論第34題について、下記のような批判がされています。
http://t-t-japan.com/bbs/kyview.cgi?k=a&dir=tohoho&pg=10&id=wcnqrf&id2=vlmqrf
>ちなみに、このサイト管理者。なかなか素晴らしくトンデモない考えをお持ちです。
>>差別があろうがなかろうが、また在日であろうが日本人であろうが、ヤクザになってはいけない。ヤクザになるのは本人の責任である。日本社会の構造差別を理由に彼らを正当化するのは、とんでもないことだ。
前半は分からんでもないが、後半はそりゃ無茶というものです。しかも、これ在日の方の言うべきセリフだな。日本人がそれを言った日にゃ、それこそ差別を正当化していると言われても仕方ないぞ。いや、正当化してるのか(笑)
差別者自らが、差別によって生じた被差別者の境遇について責任を感じなくて良いなどという理屈なんぞ、初めて聞いたな。>
これは差別と闘う運動体や活動家がよく言う主張です。それは差別があるから被差別者は悪いことをする、被差別者の悪い点は差別者側に責任がある、というものです。「初めて聞いた」とありますから、この方は同様の考えを持つ人だけと付き合ってこられたようです。おそらくこういった運動体に属しておられるのではないかと憶測します。
こういう主張を声高にされますと、被差別者に対して周囲の人々(差別者側に立つと目される)は距離を置かざるを得なくなります。
差別・被差別は人間の関係性ですから、両者が交際や付き合いを重ねることによってその関係性が変化(差別の解消)するものです。またそのような交際・付き合いを目指すべきでしょう。しかし上述の主張は差別という関係性を固定化するもので、問題の解決とは逆方向と考えます。
(2005年12月31日記)
【参考資料】
慶応義塾大学法学部 加藤久雄氏は、「日本における暴力団犯罪の原因、特性とその刑事政策的検討」という論文のなかで、次のように記述しています。
「(2) Boryoku-dan 犯罪の原因としての少数民族問題
戦後起こった政治家と暴力団の癒着から起こったと思われる重大犯罪、例えばリクルート事件から最近のオウム真理教団員による大量殺人事件の背景にはつねに「暴力団」と「少数民族」問題があった。
ここで何故「暴力団」と「少数民族」「部落問題」「韓国・朝鮮人問題」かと言えば、例えば、アメリカ人のジャーナリスト、カプランとデュブロによれば、日本の最大「広域暴力団」山口組の構成員25,000人のうち約70%の者がいわゆる「部落」出身者であり、約10%の者が韓国人等の外国人であったとしているからである。
かっての「山一戦争」も一和会が韓国系の暴力団であったところに大きな問題があったといえよう。」
http://www.kclc.or.jp/japanese/sympo/humboldt/kyotopro/section4/katoj.htm
ここでは同和の割合が3割どころか「70%」という数字が出ています。また在日の割合は「10%」となっていますが、それでも日本総人口のうちの在日の割合(0.4%)から比べるとはるかに高いものです。
カプランとデュブロについては下記URL参照。
(2006年1月1日記)
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