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(回答先: 親王殿下に「控えろ!」と言う赤新聞の本性曝露。(勝谷誠彦の××な日々。) 投稿者 ウソ捏造工場 日時 2006 年 2 月 02 日 19:45:38)
なんで若い連中が皇室問題に熱中するんだい?
ブログでも皇継問題の発言が多い。なにが、彼らをこうさせているのか、さっぱりわからん。私のような戦後をそのまま生きてきたような者にとっては、皇室なんかどうでもいい問題だ。ただ、天皇が政治に利用されては堪らん、とは思うから、それなりに注意を払ってはいるが。
ここで昔話をしよう。私が中学生の頃の話だが、夏休みの直前に、天皇一家が軽井沢から那須へ移動する。これは毎年、決まっていた。天皇家は一家揃って一度に移動するということはない。天皇、皇后、皇子、皇女というふうに日にちをずらしての移動だ。だから天皇の車列と出会った翌日は皇后の車列と出会うことになる(軽井沢出発時間は定刻らしい)。
この車列と私の下校時間が重なり合うのだ。その出会いの通りは国道で、両側に民家が列をなしている。しかし、その通りには誰一人、天皇家の車列を見ようとして通りに出ている者はいなかった。つまり、戦後13年〜15年ころは天皇家に関心を示すような人間はいなかったのだ。それでも、それからホンの直ぐあとに、皇太子(今上天皇)婚約のニュースが流れた。これを切っ掛けにして、戦後第1次皇室ブームと言うものが起きたらしいが。
そんな中で育ったせいか、今のように皇族の姿を追い掛ける群集の心理など全く理解出来ない。なぜ、あんなことになったのだろうか。多分、テレビの所為であるとは思うが。ここで序だからとっておきの話を聞かせよう。紅顔の美少年だった私(笑うのではないぞ、とはいうもののみんな大笑いしてるだろうが)は(昭和天皇の)皇后から手を振られた事がある。皇后の車と自転車に乗った私は、至近距離(2mも離れてないだろう)ですれ違いうのだが、その時、皇后が窓際に拠って(あの車は大きいのだ)、ガラスにへばりつくようにして、私に向って手を振ったのだ。
勿論、私は自分に向って皇后が手を振ったものだとは思わなかった。私の後に可愛い子供でもいて、それに手を振ったものと思い、振り返ったが誰もいなかった。通りに一般人は人っ子一人いなかった。途中に一人ぽつんと立っているのは駐在のオマワリだ。ということは、紛れもなく皇后は私に向って手を振ったのだ。きっとそれほどの私は美少年だったに違いない(なにか、みんながバカにしている様子が目にちらつくのだが、それを振り切って話を進める)。
このようなことは、これ1回限りだが、それから20年近く経ったころだったろうか、皇后は「面食い」である、とある週刊誌に出ていた。それを読んで、あの日の光景を思い出したのだ。どうだ、その当時は、この私も紅顔の美少年だったのだ。などといっても、今では信じるものは一人もおるまい。昔は写真などめったに撮らなかった。それが残念でならないが。
こんな私事だけでは政治板の意義を汚すようなものだから、皇室に関して関心をしめしていることを申し上げておこう。
今の皇室のあり方は、全く新しいあり方といえる。なぜかと言えば、どこの王制であれ、王位の周りにはそれを取巻く貴族が存在する。この国でも、朝廷の藩屏などと称して、古くは平安貴族、公家、維新後は華族などという存在があった。だが、今このようなものは制度上全くない。この王位を護るものが制度として、存在しないで天皇制というものは持続するのだろうか、甚だ疑問なのだが、誰もこれを口にする者がいない。
だから、天皇制を弄り始めると、この朝廷の藩屏なるものを備えようという議論が巻き起こるかも知れない。そこまで覚悟して、今回の皇継問題に取り組んでいるのだろうか。新たなる貴族制度を受け入れる覚悟をして発言しているのなら、それはそれで立派なものであるが。私はとても、そのような覚悟はないから、天皇「制度」はなるべく早く消滅して欲しいと思っている。繰り返しになるが、なぜかと言えば、天皇を政治に利用し過ぎてきたからだ。これからも天皇「制度」がある限り、これを政治に利用するものはきっと出て来るに違いない。
ここで、“天皇「制度」”と書いているのは、天皇家の存在は個人の家柄の存在と同じだから、そのものに問題はない、だが「制度」としては多いに問題がある。ということで、このように表記した。
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