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(回答先: 天木直人・メディアを創る (02/01) 日本に民主革命が起きる時 投稿者 天木ファン 日時 2006 年 2 月 01 日 15:47:51)
天木氏は自身の苛立ちを慰めるための理論構築に走っているようだ。なぜ自分自身が苛立ちを覚えているか、自省したらいいのではないだろうか。彼の現在の思い込みを想像するに、自分の言説はもっとマスコミに取上げられて、社会に影響を及ぼして、しかるべきだ。そうならないのは社会(大衆)が悪い。だが、社会(大衆)が悪いとは高言出来ない。
そこで自分の能力を過信して智慧なるものを搾り出す。だが、その智慧なるものは、今の自分自身を真っ先に正当化しうるポジションに据えたものとなる。それが、ここでいうところの民主革命というもののようだ。
しかし、この民主革命なるものは、「革命」なる言葉を辱めるような、受身状態での拒否権の行使に充てている。これには唖然とする。これでは、単なる負け戦であれ、それまで旗振りが出来ればよい。それまは己が正当化しうるポジションを保てるから。と考えているのではないかと疑いたくなる。
確かに現実は天木氏の望むところから、遠ざかるばかりであろう。だからといって、現実に追いすがり、そこに自身の言説を割りこませて、自身の存在価値を社会に示そうとしている姿は見てくれのよいものではない。しかし、このような姿に見えるのが近頃の天木氏ではないだろうか。と思っているのは私だけだろうか。
今の小泉時代を作り出して、馬鹿馬鹿しいほどの経験を多数の人が味わった。これは間もなく、小泉時代の反動として現われるだろう。この反動を一日にも早く見られるようにするのが、時代の子というものだ。天木氏は焦りの余りに、次の時代を読めなくなっているのではないだろうか。天木氏を時代の子の一人と見た私も見る目がなかった、と言わねばならない。
なぜこんな批判をしなければならないかといえば、「“大”天木直人」を一時(いっとき)なりとも夢に見たからだ。その“大”が取れて、ただの人「天木直人」と成り果てるなら、批判することもなくなるのは当然だが。
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良心をお持ちでしたら
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