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http://anarchist.seesaa.net/article/11750726.html
最近、洟垂れ女帝論議で、「皇統」コウトウと五月蝿いな。
「皇統断絶問題TBセンター」
http://japan.arrow.jp/blog/
などというブログがあるぐらいだ。
たぶん、「皇統」というのは、皇室の血統のことなのだろう。なんか犬や猫のようで畏れ多いと思うけど。他人の血筋で騒ぐ前に、自分らの血筋はどうなってんのよ? まさか、子なしの夫婦がコメントなんぞしてないだろうな。自分らで子作りしていない輩が、皇室に対し、男の子つくれなどと言う資格はナイと思うが。
俺は、天皇民営化論者だが、皇室の伝統は、日本にある数少ない文化遺産なので、是非、「無形文化財」として保存していただきたいと思っている。特に、皇室の性に関する儀式は、シャーマニズムに通ずる興味深いものであり、当無礼ログ記事「高貴な初夜営みの神秘」
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html
でも取り上げている。
さて、洟垂れ女帝論議で騒ぐのなら、明治維新以後の天皇制は、政府の人身掌握に都合よく利用された側面が多く、西洋文明の誕生日を祝う文化を受け入れた「天長節」を初めとして、あらゆる事が、皇室の伝統から逸脱したことばかりだ、ということを指摘しておきたい。
特に、歴史家として有名な網野善彦氏は、即位儀礼、大嘗祭など、皇室に関するさまざまの事態に対して歴史研究者としてなすべきことは山積されていると厳しく批判している。
これは、平成の世に、「皇統」と騒いでいる人たちへの警告である。
日本とはなにか、日本人とはなにかをめぐって、さまざまな日本文化論、日本社会論が世をにぎわし、その当否をめぐる議論も活発である。しかし、論じ残されている問題は、なおきわめて多く、そのために議論が必ずしも事実に基づくことなく、情緒的に流れる向きも、しばし見出されるように思われる。
例えば、昭和天皇の代替わりに当たって、天皇の葬儀が世の注目を浴び、種々の議論のすえ、鳥居を建てた神式、巨大な墳丘への土葬などが「伝統的」方式とされ、これが結局、実行に移されたことは、その通例であろう。すでにフランソワ・マセも言及している(注)ように、この「前例」は明治天皇以前に遡るものではなく、聖武以来、孝明まで一貫して仏式、持統から江戸初期まで2、3の例外を除いて火葬、後光明以後、表向きは火葬で実際は土葬、葬所は仏式採用後は適当な寺院の近傍、後光厳以後、後花園のみを例外として葬儀はすべて泉涌寺、墳丘をつくらぬ薄葬も持統以来のことで、淳和にいたっては火葬に付した遺骨を粉砕して散布させたなど、天皇の葬儀に関わる歴史的事実は、多くの人々に知られることのないまま、「伝統的」という言葉がまかり通ったのである。(日本論の視座より)
注)フランソワ・マセ「天皇葬送儀礼の変遷ー時・空間の死と再生および恒久化の問題」『春秋生活学』5号1989年
posted by 死ぬのはやつらだ at 00:49| 東京 | Comment(1) | TrackBack(0) | やんごとなき人たち
この記事へのコメント
当方のblogで以前に書いたことですが、
「平成」帝という人が、昔の記録に出てきます。「成」は「城」の代用で、読みも同じなので、「平城」天皇を「平成」天皇と書くのは普通だったようです。
この平成帝は、妃の母の藤原薬子を寵愛してスキャンダルになっていたようで、弟の嵯峨天皇に譲位して退位した後、薬子やその兄の藤原仲成らとクーデターを試みて失敗する。いわゆる「薬子の変」です。
そこで、今の天皇の諡は、どうなるんでしょうか。明治以来の制度だと「平成」天皇になるが、正式ではないにしろ「平成」天皇と書かれた人、こういう事件に関わった人がいるのだから、避けるのが当然でしょうね。
1000年以上の歴史を踏まえるのか、100年にもならない制度に拘るのか、どちらを選ぶのかは、女帝云々より近い問題ですね。
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