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(回答先: <共産党>不破議長退任 「柔軟路線」は未完(毎日新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2006 年 1 月 15 日 14:46:20)
Yahoo!ニュースからhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060115-00000003-san-polより引用
不破議長退任 ソフト路線定着に功績 党勢拡大、直結せず
不破哲三氏はマルクス・レーニン主義を日本共産党風に解釈した「科学的社会主義」の理論家として宮本顕治元議長(97)に見いだされ、昭和四十五年に四十歳で党のナンバー2である書記局長に大抜擢(ばってき)された。五十七年に委員長に昇格、蜜月時代が続いたが、次第に「宮本氏との路線の食い違い」(共産党ウオッチャー)があらわとなり、体調不良もあって、一時は閑職に棚上げされた。しかし高齢となった宮本氏が名誉議長に退くのと軌を一にして党の全権を掌握。宮本指導部時代にこじれた中国共産党との関係を平成十年、三十二年ぶりに和解にこぎつけるなど、権力闘争の面でもしたたかさをみせた。
その不破氏の最大の功績は、一昨年の党大会で四十三年ぶりに党の基本的文書である綱領を全面的に改定したことだ。
それまでの綱領は、昭和三十六年の第八回党大会で宮本氏の強い影響力の下で決められた「アメリカ帝国主義」と「日本独占資本」を「二つの敵」と位置付ける階級政党ならではのもので、「宮本綱領」と呼ばれていた。
新綱領は革命路線こそ維持したものの、天皇制や自衛隊を容認、「二つの敵」論を表現上は引っ込めた。階級政党色を薄めることにより、無党派層を含めた支持拡大をはかるソフトイメージ路線の総仕上げという位置付けだった。だが、こうしたソフト路線は党勢の拡大に直結しなかった。不破指導部は、宮本指導部時代は常に行われていた党員・機関紙読者拡大運動に積極的ではなかった。党勢拡大運動は党員・支部のノルマに直結しており、党員の不満に配慮した側面もあった。
しかし、党員はピーク時の五十万人近くを大きく下回る四十万人前後で低迷。機関紙「しんぶん赤旗」の発行部数は、最も多かった昭和五十五年(日曜版を含んで三百五十五万部)の半数以下の百六十四万部に落ち込んでいる。
こうした事態に不破指導部は二年前の前回党大会以降、党勢拡大の「大運動」を復活させたが、五十万党員の実現目標を「来年の四月までに」と下方修正する事態に追い込まれている。委員長就任時には二十議席台で推移していた衆院勢力が一ケタに落ち込んだままなのも、不破氏に議長引退を決意させたようだ。
◇
■無党派獲得「革命政党」足かせ
共産党は十四日、志位和夫委員長を中心とした新指導部を発足させた。新指導部は、不破前議長が敷いた“ソフトイメージ路線”を踏襲しつつ、無党派層をターゲットに党勢拡大を図る方針だが、党財政は悪化の一途をたどり、国政選挙でも低迷が続いている。「革命政党」の本質を変えない限り、党勢拡大は極めて困難だろう。
今大会は、共産党が「二大政党」に埋没する中、党の存在意義を全党に徹底するねらいがあった。その最大の“目玉”が、不破氏の退任と志位新指導部の発足だった。
しかし、党員の高齢化や活動意欲の低下が「党全体に深く静かに蔓延(まんえん)している」(共産党ウオッチャー)のも事実だ。
「(自分が)生きている間に、民主連合政府なんて実現できるのかと思ったことがある」
大会の討論で、五十歳代の代議員の一人がこう発言すると、ひな壇に居並ぶ幹部の面々は苦笑いするばかりだった。党活動方針への不安を持つ党員も少なくない。
こうした空気を察してか、志位氏は十四日の会見で、今後の活動方針について「国民の幅広い支持獲得に全力を挙げる」との考えを表明した。
具体的には、在日米軍基地再編や小泉純一郎首相による靖国神社参拝に反対する「非共産党系」の団体や「保守」層を含む勢力も巻き込んで政治闘争を展開し、来年の参院選での“躍進”につなげるという寸法だ。
ただ、共産党は「民主主義的変革と社会主義的変革を通じ、社会主義社会の実現を目指す革命政党」であることに変わりない。「二十一世紀の早い時期に民主連合政府を実現する」としているが、野党第一党である民主党とはむろん、かつて革新統一戦線を組んだ社民党との連携も困難な情勢で、道のりは遠い。(佐々木類)
◇
【共産党の歩み】
昭和36・7 野坂参三議長−宮本顕治書記長体制での第8回大会で党綱領を採択
45・7 第11回大会の機構改定で委員長ポストを新設、宮本委員長−不破哲三書記局長体制に
48・11 第12回大会で「民主連合政府綱領案」採択
54・10 衆院選で過去最高の39議席
57・7 第16回大会で宮本議長−不破委員長体制に
平成 2・7 第19回大会で非議員、35歳の志位和夫氏が書記局長に就任
8・10 小選挙区制導入後初の衆院選で26議席を獲得
9・9 第21回大会で宮本氏が名誉議長に退く。21世紀の早い時期に民主連合政府を目指すと決議
10・6 32年ぶりに中国共産党と和解
・7 参院選で15議席獲得、選挙後の首相指名選挙では菅直人民主党代表に投票
12・6 衆院選で20議席に後退
・11 第22回大会で「前衛政党」の表現を削除する規約改正。宮本氏は名誉議長も退き完全引退。 不破議長−志位委員長−市田忠義書記局長の体制に
15・11 衆院選で9議席の惨敗、不破氏は出馬せず議員を引退
16・1 第23回大会で43年ぶりに党綱領を全面改定
・7 参院選で選挙区ゼロ、比例4議席と敗北
17・9 衆院選で現有維持の9議席
18・1 不破氏が議長退く。志位委員長、市田書記局長は続投
(産経新聞) - 1月15日2時32分更新
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