★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK18 > 637.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 共産党の不破氏、議長を勇退へ 志位、市田両氏は留任(朝日新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2006 年 1 月 14 日 15:05:50)
議長職の退任を表明する不破氏=14日午後2時14分、静岡県熱海市の共産党の伊豆学習会館で
朝日新聞からhttp://www.asahi.com/politics/update/0114/005.htmlより引用
共産党の不破氏、議長を退任 世代交代・健康を理由に
2006年01月14日18時37分
共産党の不破哲三議長(75)は14日の党大会最終日に議長を勇退した。07年の統一地方選挙や参院選に向け、高齢による健康面の不安や、若手中心の指導体制に転換する必要性を理由に自ら退任を申し出て、同日の中央委員会総会で承認された。常任幹部会のメンバーは引き続き務める。議長は当面置かず、志位委員長は留任して党のトップとして党運営に当たる。
不破氏は自衛隊や天皇制を容認する柔軟路線を進めてきたが、今後のかじ取りは、ともにその路線を歩んできた志位氏を中心とする指導部に委ねられる。
不破氏は14日、党大会で演説し、「指導部の構成は、より若い世代を吸収し、その力を発展させる点で意識的な努力を行わないと、必要な時期になっても中心幹部の交代を避ける保守的な傾向に陥りかねない」と勇退の理由を説明。
党内では昨年9月から党幹部による人事小委員会で検討してきたが、不破氏は「若い指導部が全面的に責任を持つ体制にしたほうがいい」と退任を申し出ていた。
不破氏は旧制一高在学中の47年に入党。70年、宮本氏の委員長就任とともに40歳で書記局長に抜擢(ばってき)された。80年に委員長となり、87年には一時健康上の理由で委員長職を退いたが、89年復帰。00年に議長に就任し、対外的な仕事や理論面は不破氏、国会対策は志位氏と役割を分担していた。
不破氏は「柔軟路線」を取り、98年に日米安保条約廃棄などを一時凍結し、民主・社民両党との連立を視野に入れた暫定政権構想を提案したり、講演で象徴天皇制を容認したりした。議員引退後の04年には党綱領を象徴天皇制や自衛隊を容認する内容に全面改定した。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK18掲示板