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http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060113k0000m010180000c.html
小泉純一郎首相の靖国神社参拝をきっかけに浮上した無宗教の国立戦没者追悼施設建設構想で、福田康夫元官房長官の私的懇談会が施設建設の必要性を提言した02年12月当時、政府内で施設の具体的な設置場所として、東京都千代田区の北の丸公園内を「最も現実的である」とする原案をひそかに検討していたことが12日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした。小泉政権下では施設建設の前提となる調査費計上の見送りが決まり「幻の案」として封印されたが、具体的プランが検討されていたことは、今後の議論に影響しそうだ。
02年12月の懇談会の提言は施設について「大型の建造物ではなく、公園風のスペースで大規模な式典ができる広場があり、できれば都心かその近くが望ましい」とした。
政府内では「懇談会の設置自体、作るのが前提だった」(政府高官)ため、提言が出る前から極秘に候補地の検討や視察を始めていたという。
東京の多摩などいくつかの候補地が挙がったが、その中で「北の丸公園案」は、(1)懇談会の提言内容に沿っている(2)毎年8月に戦没者追悼式が開かれる日本武道館や靖国神社、国立の千鳥ケ淵戦没者墓苑などが近くにあり、追悼の場としてふさわしい(3)首相ら要人が訪れやすい交通の便−−などの理由から、最後の一つとして残った。実際に複数の担当者が、現地視察も行ったという。
北の丸公園は環境省が管理しており、1966年の閣議了解などにもとづき、武道館や国立公文書館など以外に新たな施設建設は制限されている。このため政府内では、追悼施設を建設する場合、新たな閣議決定などによって制限を解除することを想定していた。
首相は03年3月に官邸に懇談会のメンバーを招いた際「追悼施設はつくる」と2回明言するなど一時、建設に前向きな姿勢を見せていた。
しかしその後、自民党内の施設反対論も強く、構想自体が迷走した。経緯に詳しい政府関係者は「中韓の反発が余りにも強くなってしまったため、首相は追悼施設をつくると外国の要求に屈したと取られるのを嫌がった」と明かす。「北の丸公園案」は当時、福田氏には説明されたが、首相に上げられるまでには至らなかったという。
毎日新聞 2006年1月13日 3時00分
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