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過日、爺どもが,最近政治に口を出しているのは,年をとって暇だからではないかという発言をあるサイトで見かけた。私は,68才の老人のひとり。だが、政治に口を挟む暇がないほど忙しい。忙しい私が、今政治に口を出すのは、自分の唯一の希望の光が消されようとしているからなのだ。私は,4才から11才までの約6年間にわたって、太平洋戦争に巻きこまれ、戦争の醜悪な面も残酷なことも、子供なりに経験し、この年まで、心の奥底に張りついて離れない。戦争トラウマとは,このことをいうのではなかろうか。反面、玉音放送に始まる,終戦の喜びも決して忘れない。その最大の喜びが、国民主権だった。自由と平等であった。
腹立たしいことだが、戦後、まもなく、戦争遂行者の生き残りが息を吹き返した。鉄面皮にも,憲法を無力化する勢力、自由民主党の出現である。元官僚、軍属が続々結集し一大勢力を形成,憲法は、押し付けられたもの、戦争は,やむをえないものであったと自分達が国民を引きずりこんだ戦争とこれに参加して戦死した兵隊を美化し始めた。その極地が、始めこそ、遠慮しがちであったが、今は、憲法違反といわれようが、傲慢、不遜にも首相である小泉が強行し続けている靖国参拝である。靖国神社は,元軍閥の亡霊の牙城、戦前、戦中をとうして、国民を弄り,あざけり,殴り、投獄し、時には殺したものたちが、奉られており、過去の権力が、無念を語り,その復讐を誓う場所だ。こうした残存勢力は,今の官僚同様国民の前に、決して前非を悔いたり、謝罪したりすることはない。憲法の国民主権に徹底して、逆らい,支配と権力を国民に強要する。そこに小泉の改革の原点がある。小泉の改革は、国民からの主権の強奪、戦前への復帰なのだ。既に、戦後に行われた,真の改革で失ったものを奪い返す。国民主権の基盤である厳粛な主権の選挙を下司な人気投票に貶め、冒涜し、土足で踏みにじり、地盤,看板にものをいわせ、自由で平等な選挙を奪い。今や、国会は、彼らの二世、三世が我が物顔に振る舞う劇場となり、マスコミがはやし立てる。このような有様を見て,かって弄られたり,騙された者が,ものをいわないと思う方が、どうかしている。日本を爺がものをいわなければならないようにした,三、四、五十年代の大人のマイホーム主義、自己中心主義こそ、自民党をここまでのさばらせた元凶。学習塾に子供を追いこみ、子供にいじめにより弱いもの、恵まれないものを虐げることを教え、さらに、文部省が国民を分裂させるためにこれを放置した結果がこれで、すべては、教育界を荒廃させる自民党の策略。それに乗せられて勝ち組みとなった親の生き様は、今や、国民主権を根こそぎ覆し,自民党や,政府が、憲法の規定する,国民の下に置かれた地位の枠を超えて国家の名のもとに国民を支配する機運を作り上げたのだ。こうした親のエゴは,国民の主権を、政党や政府に奪われる余地を与える。まるで、戦前の親たちのように。かくして、この親たちは、憲法の改正に賛同し、子供を戦場に誘い込み、再び子供の命を奪う。これは、人が地上に生を受けていらい、幾千年にもわたって繰り返してきた愚行なのだ。すべてが、御国の為、日本の為と称して、大人は,己のエゴを全うする。今のアメリカのように。憲法は、この悪循環を断つた。国民主権を規定することで。しかし、国民は,それを捨てる。持っている権利を捨てる。憲法の庇護を自ら破棄し、捨てる。
私の戦争トラウマは、もう耐えられないところまで来ている。戦後、見せつけられてきた自民党や政治家の憲法違反行為は、最早、許してはならない限界をこえている。日本憲法は、人の生きるべき最高の方向を指し示している。共産主義者は、憲法の29条 財産権はこれを侵してはならないとする私有財産の保障に異議を唱えるが、そのこと故に、憲法を軽んじるとすれば,大変な誤りである。もし、人が,自分で努力して得たものを私有化できないとすれば、それは、人が、自ら成長し、幸福となる喜びを奪うことになる。共産主義、社会主義を標榜する国では,むしろこれが、独裁者や、官僚が、人民が努力し、働いて得た当然を報酬の強奪する理由に使われている。かってのソ連、現在の北朝鮮では、富が、権力者に集中され、人民の為ではなく,一部の権力者のあくなき私欲を満たす為に際限もなく使われている。これは、紛れもない事実である。人間の社会では、私有財産を廃することの方が、欺瞞なのである。このことを認めないと、結局、国民を分裂させ、憲法の改正は,勝利に終わる。また、自民党や民主党の一部は,中国のような共産主義の脅威を煽りたて、国民の中に恐怖を引き起こし、集団自衛権や専守防衛など憲法上有りもしない不毛な論議を持ちこみ、憲法を改正し,軍隊を持つことを合理化しようとする。
私は、日本が、戦争を放棄し、軍備を廃棄したのは、日本には,国として、防衛する権利がないからではないと思っている。日本が、先の大戦で、他国を侵略し、他国の自衛権を侵し,幾多の人命を奪い,財産を焼き払い、多大の被害を与えたからである。このことを、爺どもは絶対に忘れないし、首相であろうと忘れるものを決して許さない。すべては、日本が他国から要求され,日本の国民が戦争の責任を認め、その要求に従ったからである。それ故、日本が自衛のために軍隊、軍備を保有するには、戦争に対する十分な謝罪,悔悟の念が,他国に十分認められ、日本の軍備が他国に脅威とならないものでなければならない。戦争に対する、本心からの謝罪や悔悟のない旧軍属,官僚その他旧勢力の生き残りで、憲法に逆らい、国民主権の確立を妨害する勢力が、自民党として存続する限り、日本が,憲法の前文や軍事放棄の条文を廃棄することは、世界もこころある日本人も消して許さない。これを言えるのは,私のような,彼らの過去の悪行の数々を熟知している爺どもだけ。
だいたい、憲法を受け入れず,守ろうともせず,無視することを繰り返してきたもの(自民党)がどうして、憲法を改正できよう。出来ると考える事自体,傲慢で,その資格を失っていることを証明しているといえよう。そのような彼等が意図しているのは,正しく,先の戦争の礼賛と旧勢力の復活であり、靖国神社と正月の伊勢神宮の参拝は,その決意の表明と解されてもやむをえまいが、これを何時までも放置させるわけにはいかない。もし、日本が軍隊による自衛を確立することを望むなら、このような自民党を排除、追放し、憲法の要求するところにより、国民主権を確立することしかあるまい。
憲法の示す国民主権の確立することは、前文を忠実に実行する限り、日本が,決して,他国を軍隊により侵略するものとはなり得ないからであります。自民党とそれに組する国民も知らなければならないことは、自民党が、存続する限り、日本が軍隊を持つことは、再び隣国を侵略することの意思表示であり、隣国に再び戦争の悪夢を思い起こさせるだけだということであり、先にも述べたように、憲法違反を侵してまで,靖国参拝を続ける小泉首相を存続させるということは、すなわち、日本国民が,再び、隣国を侵略することの意思表明であり,決して,許されてはならないことであります。
68才の私のようなへたれ爺が憂慮するのは,このような、憲法や国民主権をないがしろにする人物を首相にしておくことが如何に危険かということだ。私のような浅学で、政治の経験、知識の乏しいものに、そのような憂慮を抱かせるところに,今日の政治の貧困さと不毛さがあるといっていいでしょう。それは、私のような老人であればこそ知る、戦争とその遂行者、旧官僚、軍閥、さらには,その二世や三世に対する底知れぬ恐怖からきているということが出来ましょう。政治が貧困で,不毛となる時,彼らは,その勢力を拡張し、国民を支配しようと企てる。事実,改革の号令のもとに、国民を欺き、騙し。公務員を、国家や地方の管理職員に格上げし、人数を減らし、国民を管理、組織することが画策、推進されています。これが、小さな政府の正体であります。反面,国民の健康(医療)、衣、食、住の安全を損なう、緊縮財政や民営化を恥知らずにすすめ、増税をし、国民の財貨を奪い,これを国のためと称する。また、銀行の巨大化が進められ,ついに、かっての財閥,三井,住友,三菱にメガバンクとして、統合、復活された。
かくして、憲法が、国民主権の実現として掲げる,自由による恵沢を国民から掠め取り、支配者どもが分捕り品として、国の蔵に積み上げる政治を改革として断行し、それを軍隊が国民から守るかっての闇の政治、港湾やくざの政治が,推進される。それを暴露したのが,耐震偽装事件や一連の列車脱線、転覆事故。これは、政治における、国民生活に対する配慮の欠如、安全軽視、公務員の管理職化、民営化という国民管理を目指す小さな政府の策略が露見したもので、これは、氷山の一角と考えていい。小泉のような人物や、自民党が政治を牛耳っている限り、同様の事件が、起こり、闇に葬り去られ、国民は,生活の安全を脅かされ続ける。しかも、すべてそれが、中国等の脅威のせいにされるとしたら。こんな日々を老人が黙って見逃すと、老人の一言を暇のせいにするもの等が考えるとしたら、大怪我をするだろう。老人というものは、肉体こそ衰えているが,経験を積み、精神は、年を取ると共に冴え渡り、若者や頭でっかちの半端ものには負けないだけのものはあるつもりである。
投稿者:chaka at 14:59
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