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「戦陣訓」と小泉純一郎、【土佐高知の雑記帳ブログ】 <全文転載>
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-130.html
ライブドアニュースを見ていると「今日の履歴書【1月8日】」という記事があった。
きょうは小泉純一郎総理のお誕生日(1942年・昭和17年生まれ、64歳)であるそうだ。
さらに下をみると「1941年 (昭和16)東条英機(当時・陸軍大臣)、「戦陣訓」を至達」とある。
ふーん。宿命論を信じるわけではないが、ある意味、面白さを感じる。
で、それまでは「めんどくさい」と参拝しなかったくせに、そーりになったとたんこだわって小泉純一郎が参拝する靖国神社と、その何代か前の総理大臣だった東条英機が、全陸軍に布告し、多くの日本兵を死地においやった(九段坂に追いやった)「戦陣訓」について語ろうと思う。
「戦陣訓」は、「義は山岳よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」との「軍人勅諭」の戦場版である。それまでにも日本軍に骨がらみに巣食っていた「精神主義」「白兵主義」を体系的にまとめあげた洗脳イデオロギーである。
第7 生死観
死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。
生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。身心一切の力を尽くし、従容として悠久の大義に生くることを悦びとすべし。
第8 名を惜しむ
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ
皇国史観・靖国神社思想に洗脳されていた日本人は、兵隊となってさらにこの「戦陣訓」に洗脳され、補給が途絶えた戦線に送り出され、飢餓と病に冒されても降伏することを許されず、大陸で南洋で「犬死」させられていった。
無責任な戦争指導者に殺された兵隊たち
元号は好きではないがことしは平成18年。
昭和の18年1月、日本軍の「作戦終末地点」をこえるソロモン諸島ガダルカナル島に送り込まれた日本兵は、補給を米軍によって阻止され、降伏も許されず次々と餓死・病死していた。また、そのガダルカナルへの補給を優先させたことによって、前年8月から陸路ニューギニア島南岸にあるポートモレズビーをめざしていた高知県の歩兵第144連隊を基幹とする南海支隊は、すでに前年10月以来一切の補給を絶たれ、餓死・病死が続出し、一部の兵隊は人肉にまで手を出す「人肉戦線」を余儀なくされていた。
それを思うとき、昭和天皇、東条英機をはじめとした戦争指導者たちの無能と無責任と人命軽視に煮えくり返る怒りを感じる。
「戦陣訓」に殺された兵隊たち
作家の千田夏光さんが「銃殺」という本のなかで、こんな話を紹介している(「オンナ」)。
昭和16年12月、台湾からフィリピンを渡洋爆撃していた原田一飛曹ら8人は、機が被弾して帰還不能になったので不時着し捕虜になった(これには司令官の大西瀧治郎少将の「やがてフィリピンは占領するので、自決せずのちの奉公に備えよ」との訓示が影響していたという)。
ところが帰還した彼らを待っていたのは「戦陣訓」であった。
司令部は、彼らとほかの兵隊との寝起きをともにさせず、死ぬことを求め続けた。それでも彼らは、幾多の戦火をかいくぐり生き残ったが英雄とはならなかった。昭和17年3月30日、司令部は「爆弾を抱えてポートモレズビーに自爆攻撃をせよ」との命令を下した。彼らは「ワレイマヨリ自爆セントス。天皇陛下万歳」との訣別電を打って、ポートモレズビーに突入(装備していた爆弾は抱えていなかったという。それはせめてもの司令部への抵抗だったかもしれない)、殺された(千田さんの話は、この飛行機に慰安婦が乗っていたのではないかというもの)。
兵隊たちを殺しながら生きのびた上級指揮官たち
下士官兵にはこのように過酷な「戦陣訓」だが、上級指揮官はどうだったか。
山本五十六連合艦隊司令長官のあとをついだ古賀提督は、米軍の攻撃に備えるため福留参謀長ととともに、昭和19年3月31日、2機の飛行艇にのってパラオからダバオにむかった。運悪く低気圧に巻き込まれ、古賀提督は殉職、福留参謀長ら8人はフィリピンゲリラの捕虜になり、米軍迎撃作戦「Z」作戦の機密文書を奪われる。12日にあとに彼らは解放されたが、軍は「乙事件」として秘匿し、福留らも機密文書が奪われたことを伝えなかった(のちのマリアナ防衛「あ号」作戦などが米軍につつぬけとなった)。
福留は捕虜になったことを不問に付されたばかりか、第二航空艦隊司令長官に栄転。敗戦まで軍の要職にいた。
昭和20年1月9日、米軍はフィリピンに上陸した。山下奉文大将らのルソン持久作戦に反対し、マニラ死守論を頑強に主張していた富永恭次陸軍第4航空軍司令官は、1月17日、部下をフィリピンにおいて単独台湾に逃げかえった。死刑に相当する敵前逃亡である。彼は、陸軍特攻を指揮し、フィリピンで多くの若者を特攻死させていた。ところが軍は、言い訳程度の処分しかおこなわず、富永は師団長として敗戦をむかえた。
靖国神社は戦争責任を隠蔽する
靖国神社はこうした事実を隠蔽する。
いやむしろ、稚拙な戦争指導や作戦指導で兵隊を犬死させた連中が、そのことを隠すために「彼らは犬死したのではない。大義のために死んだのだ。祖国のために死んだのだ」とことさら「英霊」として祭り上げようとしているのではないか。
靖国神社にまつわる戦後の歴史を、冷静にみてみるとそのことが浮かび上がってくる。
こんなことが日本人として許されるのか。
兵隊たちを戦場に駆りだし、いまなおそのことを反省しない靖国神社。彼らを犬死させた戦争指導者、かれらの責任逃れを「英霊」という美名で許してはならない。その戦争責任を暴き続けなければならないと思う。これは日本人の責務である。
歴史を逆行させようとしている小泉純一郎
で、その靖国神社を参拝し続ける小泉純一郎総理。
彼はもともと旧軍と近い関係。そういえば、昭和17年1月2日、閣議は真珠湾攻撃の12月8日を、国民の戦意高揚の日とするために、毎月8日を「大詔奉戴日」と決めた。
逓信大臣経験者の娘である母と、駆け落ちしてまで結ばれた薩摩隼人の新進気鋭の代議士を父に、小泉純一郎が生まれた日は、第一回目の「大詔奉戴日」だったのである。
その彼が「戦争はしない」と言いつつ、戦争神社にくりかえし参拝し、いま「戦争はしない」と決めた憲法を変え、自衛軍をつくろうとしている。
断じて歴史の逆転を許してはならない(文中敬称略)。
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