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2006.1.6(その2)
2006年森田実政治日誌[13]
2006年元旦の社説に見る大新聞の堕落【2】――毎日新聞、小泉首相へのゴマスリ一筋の論説
「私は成功した。なぜなら私を買ってくれた人々全員を売ったから」(ターレラン、フランスの政治家、1754-1838)
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毎日新聞1月1日の社説を書いた論説委員はゴマスリの名手である。小泉首相はこれを読んでさぞ気分がよかったであろう。二、三の例を挙げる。
《世紀替わりの節目の時、20世紀型の悪癖や旧弊を支えてきた既成秩序が次々と改革の俎上にあげられた。あたかも変えないことは悪いこという旋風が吹き荒れた。その台風の目に小泉首相が居続けた。》
だが、この記述には嘘がある。ひとつは「既成秩序が次々と改革の俎上にあげられた」の部分。これは小泉首相と首相と結託した大新聞が俎上に「あげた」のである。能動態で記すべきことを受動態で書いたのはゴマカシである。[蛇足:「俎上に上(のぼ)せる」が正しい表現――森田]
「旋風が吹き荒れた」もゴマカシである。“小泉首相と結託したマスコミが大騒ぎした”というのが真実だ。マスコミは自分自身が仕掛けてつくりあげたことを「された」と、あたかも客観的現象のように記述する。ゴマカシ方が巧妙である。もっとも、このゴマカシ方は古代からある。権力者の得意手である。
《民意を捕らえる派手さと部分的無謀さから、彼以外、これほどの激変を成し遂げた人はいないと見えても不思議ではない。前回総選挙での大勝利は国民がそれを認めた証拠でもあるのだろう。》
ここにも嘘がある。「小泉首相以外に指導的政治家はいない」との空気をつくったのはマスコミである。国民は、小泉政権の番犬と化したマスコミによって「小泉首相以外に人なし」と思い込まされたのだ。だが、冷静に見れば、昨年の9.11総選挙において自民・公明合計の得票率は全体の49%にすぎなかった。自分が仕掛けておいて、あたかも客観的に自然発生的に起きたように表現するのはマスコミの小ズルイやり方である。
ついで究極のゴマスリが行われる。
《(小泉首相の)信念たるや確固として身の処し方も立派なものといえようか。しかしもしそうなら、すべてやりっぱなしでいまだ道半ばでしかない小泉改革を他人の手に任せず、自分自身で成し遂げるのが政治家として首相として筋というものであろう。》
小泉首相続投論である。小泉首相にとって最も嬉しいことではないかという感じがする。もともと毎日新聞政治部は小泉政権と一体といわれてきたが、早くも小泉続投への環境づくりに動き出したのであろう。[毎日新聞よ、ヤリスギデスゾ。恥の意識はないのか]
1月1日付毎日新聞社説のタイトルは「壮大な破壊後の展望が大事/結果責任負ってこそ名首相」。小泉首相続投を求める訴えである。この社説は、毎日新聞が小泉首相と一体であり、小泉内閣の事実上の政治機関紙であることを物語っている。
毎日新聞には数多くの個性的で優秀な記者がいる。というより「いた」と書くべきかもしれない。しかし、新聞社の中枢部が小泉首相と一体化していては、優秀な記者たちは小泉首相のために働くことになり、国民にとって危険な存在になる。このままでは毎日新聞は反国民的新聞である。国民が選ぶべき道はただ一つ、こんな新聞の購読をやめることである。
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