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自公連立は公明党をどこに導いてきたか / 立党の原点と連立の現点との乖離(五十嵐仁の転成仁語)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo18/msg/393.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 1 月 06 日 06:32:09: KbIx4LOvH6Ccw
 

『飛礫』第49号(2006年冬)
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/tubute49.htm
 
 
 
 ■はじめに
 
 一〇月二三日に投開票された新潟県南魚沼市議選で、公明党現職の候補が落選した。統一地方選を除く地方議会選挙での全員当選記録は一一五カ月で途切れたことになる。公明党は、当選の可能性が十分見込める選挙区や候補者数を絞り込んで擁立を行うため、落選者を出すことはほとんどない。その当選が途切れた。

 九月一一日に投開票された総選挙でも、公明党の成績は芳しいものではなかった。小選挙区の沖縄一区で白保台一候補が落選し、比例代表でも二議席減で、三四議席から三一議席に後退した。比例区では過去最高の八九九万票を獲得したものの、前回総選挙との比較では二六万票の増加にすぎない。有権者に対する割合である絶対得票率(比例区)では、前回総選挙の八・五%から八・七%への増加である。つまり、たった〇・二ポイントしか増えていない。

 これらの数字を見れば、公明党が今回の総選挙で「小泉マジック」の恩恵を受けていないことは明らかである。また、「比例区は公明党に」と自民党や保守系無所属の候補者が叫んでいた割には、公明党は比例区での得票を増やしていないということもできる。

 これらの事実は、「選挙上手」と言われている公明党も、その勢いが弱まっていることをうかがわせる。それは何故なのか。本稿では、これまでの公明党の軌跡を振り返りながら、その背景を探ってみることにしたい。
 
 ■「創価学会政治部」としての立党
 
 一九五四年一一月、創価学会本部に文化部が設立され、翌年の二月、五四人の部員が任命された。全員が四月に行われる統一地方選挙への立候補予定者だったが、そのことは秘せられていた。こうして、公明党結成への「種」は蒔かれ、最初は地方議会、次いで参議院への進出を図る。一九六一年には公明政治連盟(公政連)が結成され、六四年五月の衆議院進出表明を経て、一一月一七日に公明党が誕生する。

 以上のような出自と経緯から、公明党は「創価学会の政治局」(富田信男『創価学会の政治局 公明党の研究』日新報道、一九八七年、参照)であり、政党として自立していないことは明らかであった。創価学会の池田大作第三代会長は、六五年七月の青年部最高幹部会において、創価学会と公明党は「同体異名、一体不二」であると言明し、この事実を認めている。

 しかし、現在の公明党は、厳密に言えば、この公明党と同じものではない。一九九八年一一月七日、「公明」と「新党平和」が合流して、新「公明党」が結成されたからである。旧公明党は、九四年一二月に解党し、地方議員と一部の参院議員を主体にした「公明」と、その他の国会議員を中心とした「公明新党」とに分かれ、後者は「新進党」結成に加わった。

 しかし、新進党は九七年一二月に突然解散し、旧公明党グループのうち参院議員は「黎明グラブ」を、衆院議員の大半は「新党平和」を結成。その三週間後に「黎明クラブ」は「公明」と合流し、前述のように「新党平和」と一緒になって新「公明党」となったのである。

 旧公明党から新公明党への変遷は、このように極めて複雑なものであった。しかし、その意味するところは単純である。旧公明党は政界再編の波に乗り遅れまいとして一定の対応を試みたものの、その成否に確信が持てなかったため、党を割って「二股」をかけた。そして、このようなアクロバチックな対応の結果、何事もなかったかのように元の鞘に収まったのは、分かれたり党名が変わったりしても、「創価学会政治部」としての本質に変わりがなかったからである。
 
 ■立党の原点
 
 公明党は、そのウェッブ・サイトで、「公明党の理念とは何ですか」という問いに対して、「公明党の立党の原点は『大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく』です。そして、常に民衆の側に立つことを信条としています。公明党が行動の規範とするのは、高い志と社会的正義感、モラル性、強い公的責任感、そして民衆への献身です」と答えている。「大衆」と「民衆」という二つの言い方が出てくるが、前者が古い言い方、後者が新しい言い方であろう。「大衆」というのは、いささか「見下した」響きがあるということなのかもしれない。

 それはともかく、この「立党の原点」は公明党の性格をそれなりに表現している。比較的所得の低い階層を支持基盤とし、この階層への現世的なサービスの提供を使命としているからである。

 他方、「行動の規範」とされている「高い志と社会的正義感、モラル性、強い公的責任感、そして民衆への献身」は、創価学会の教義による宗教的信念に裏付けられ、強烈な党派性を生み出すことになる。一部の公明党員のなかには、「民衆」を「学会員」と読み替え、自らを顧みない「学会員への献身」を意図して選挙活動に取り組み、ときには行き過ぎや反社会的な事件を引き起こすこともあった。

 赤松正雄公明党衆院議員がウェッブサイトで、「公明党の立党の看板はあえて言えば、『清潔』『福祉』『平和』の三枚に集約されます」と書いているように、「清潔な党」「福祉の党」「平和の党」が、いわば公明党の「三枚看板」であることはよく知られている。ただし、現実には「そうである」というよりも、「そうでありたい」という目標のようなものかもしれない。

 問題は、この目標に向かって公明党が突き進んできたのかということである。この点では、とりわけ連立政権参加以降の歩みが重要であろう。政権への参画は、一方では、権力の獲得による政策実現の可能性を増大させるが、他方では、他党との折衝や調整が必要となるため独自の政策遂行への制約を生むからである。
 
 ■強い権力志向と連立への参加
 
 公明党の前身である公政連の結成大会は椿山荘で開かれた。竜年光元公明党都議の証言によれば、このとき委員長となった原島宏治は、公政連メンバーの第一号バッジを池田創価学会会長の胸に付け、自らは第二号バッジを付けたという。その直後、総本山大石寺に幹部一同が登山した折、将来、政権を取ったときの閣僚名簿が二種類作られた(「しんぶん赤旗」特別取材班『政教一体 公明党・創価学会−政権参加を問う(1)』新日本出版社、二〇〇〇年、一一二頁)。このエピソードが示すように、公明党はその前身の時代から強い権力志向を持っており、その中心には池田創価学会会長(現名誉会長)がいた。

 公明党に政権参加のチャンスがめぐってきたのは、結党から約三〇年後の一九九三年である。この年の七月に行われた総選挙で、直前に分裂した自民党は過半数を回復できず、公明党は、社会党、新生党、日本新党などの七党派と共に、非自民連立政権に加わった。公明党としては初の政権参加であり、石田幸四郎委員長など四人が細川政権に入閣した。

 しかし、翌九四年六月の村山自社さ連立政権の樹立によって、公明党は閣外に去る。その後、四年間の分裂・再統合の時期を経て新公明党となったことは、すでに述べたとおりである。再び、公明党に政権参加のチャンスがめぐってくるのは、その一年後であった。

 一九九九年七月、小渕首相と神崎代表との党首会談で公明党は連立への参加を受諾し、一〇月には自由党を含めた自自公三党連立内閣が発足した。以後、六年間にわたって、公明党は与党として連立政権に加わり、自民党を支えることになる。
 
 ■六年間の実績
 
 すでに述べたように、「公明党の立党の看板はあえて言えば、『清潔』『福祉』『平和』の三枚」である。過去六年間の自民党との連立政権によって、これらがどのように実践されてきたのか、簡単な検証を試みてみよう。
 
(1)「清潔な党」

 日蓮の教えを信ずる信徒団体であった創価学会は、一九九一年に日蓮正宗から破門された。その理由は、創価学会の教義上の逸脱や誤りだけでなく、それが引き起こした数々の反社会的な事件にあった。

 これについて「解散勧告書」は、「かつて言論出版妨害事件や選挙時の替え玉投票事件、また、共産党宮本委員長宅盗聴事件や、『月刊ペン』事件等、反社会的な行動やスキャンダルなどで、社会から幾多の厳しい指弾を浴びましたが、近年に至っても、なお会員による身代金六億円を要求した本宗住職誘拐事件、会員である公明党議員たちによるリクルート事件や砂利運搬船汚職等の数々の贈収賄事件、ルノワールの絵画取引にかかる疑惑、墓地造成にかかる脱税事件や株売買にかかる損失補填疑惑等、巨額の不正疑惑事件が頻発して」いると指摘している(江藤俊介・七里和乗『自民党・創価学会・公明党−国民不在の連立政権秘史』学習の友社、二〇〇三年、三四頁)。すでに、ここにも「公明党議員たち」の贈収賄事件が登場している。

 このほか、二〇〇二年の通常国会で問題になったムネオマネー(約二億四〇〇〇万円)を公明党議員も受け取っていたことが明らかになり、官房機密費疑惑でも公明党議員に高級背広が送られていた事実が判明した。二〇〇〇年秋の臨時国会であっせん利得処罰法が問題になったとき、私設秘書を処罰対象に含めることを主張した野党側に対して、公明党はじめ、自民党、保守党の与党側は対象外とする案を強行した。

 さらに、二〇〇四年秋の臨時国会では、自民党旧橋本派への日本歯科医師連盟による一億円献金疑惑を契機に資金規正法改正が取り組まれたが、これに対する公明党の対応も不十分なものだった。このとき「清潔な政治を標ぼうする公明党はなぜ、こんな改正に合意したのか、理解に苦しむ」(「与党は真の政治資金規正を」『東奥日報』二〇〇四年一〇月二六日)との指摘がなされたが、先の特別国会での政治資金規正法改正でも、政治団体間献金への年5000万円の上限設定などがなされたものの、迂回献金は禁止されなかった。
 
(2)「福祉の党」

 連立政権の下で、公明党が具体的な「成果」を実現してきたのは、この分野であった。地域振興券の発行、二兆円減税、児童手当の拡充、乳幼児医療費の無料化などが、その内容である。これらは「ばらまき政策」として他党の批判を浴びたが、公明党にとっては支持者への「現世的利益」の供与を意味するものだった。

 しかし、このような部分的な利益供与では間に合わないほど、構造改革の下での負担の増大と社会保障関係給付の切り下げは進行している。これらは、医療費、介護保険、年金、障害者福祉などの分野で顕著だったが、とりわけサラリーマンの医療費健保本人三割負担、高齢者の医療費一割負担、年金保険料の毎年引き上げと給付水準の引き下げは、公明党所属の坂口力厚生労働相の下で実施され、公明党は与党としてこれを推進してきたのである。

 先の特別国会でも、障害者自立支援法が成立した。この法律は、利用者負担の原則を「応能」(能力に応じた負担)から「応益」(利用に応じた負担)に変え、上限はあるものの、費用の一割を支払うことになる。手篤いサービスを必要とする重い障害のある人ほど費用がかかり、負担も重くなる。障害者の「自立支援」どころか負担増大を図るこのような法案を自民党とともに提出したのが公明党である。「福祉の党」の看板が泣くというものであろう。

 総選挙後、にわかに増税問題が浮上しているが、これに対しても公明党は反対を表明していない。それどころか、総選挙に向けてのマニフェストでは、「当面する重要政治課題」として、「2007年度を目途に消費税を含めた抜本的税制改革を実現」として、消費税の引き上げを打ち出していた。

 また、政府税制調査会は、所得税の最高税率の引き下げや法人税の税率引き下げとともに、1999年度に景気対策の一環として導入された定率減税を、07年に全廃する方向を打ち出している。金持ち減税や大企業減税と切り離して、庶民増税だけの実施を許すのかどうか、この点でも公明党の対応が問われることになろう。
 
(3)「平和の党」

 この分野での、公明党に対する試金石となったのは、イラクへの自衛隊派遣問題であった。公明党はブッシュ米大統領によるイラク戦争の「戦闘終結宣言」が行われた二〇〇三年五月二日、声明を発表して「憲法の枠内で出来うる限りのこと」を行うべきだと表明した。その後、党派遣団や与党派遣団として計六人の国会議員がイラクに入って調査のうえ、「イラク復興支援特別措置法を与党として通した以上、自衛隊を出すなということは言えない」として自衛隊派遣を支持した。

 このとき、北海道、東京、愛知、大阪、福岡などの創価学会の若手活動家らでつくる「イラク派兵に反対し平和憲法を守る会」は、署名運動を行って派遣反対を表明したが、公明党は与党としての立場を優先させたのである。また、〇三年一二月二〇日、公明党の神崎武法代表は活動予定地のイラク南部サマワを視察し、陸自部隊派遣の露払いの役割まで演じた。

 その後、イラク攻撃の理由であった大量破壊兵器は見つからず、開戦理由にかかわる情報操作に絡んでチェイニー米副大統領の側近が偽証などの罪で起訴された。米軍の戦死者は二〇〇〇人を越え、戦争の正当性についてはアメリカ国内でも大きな疑問が出されている。サマワの自衛隊を警護していたオランダ軍はすでに撤退し、それに代わった英豪軍も来年の五月には引き上げる可能性がある。

 公明党が連立政権に参加して丸六年となる二〇〇五年一〇月五日、ほぼ一年ぶりに開かれた創価学会との連絡協議会で真っ先に提起されたのはこのイラク問題だった。席上、冬柴幹事長は英豪軍の撤退後は自衛隊も撤退すべきだとの考えを表明したが、今後、どのような形で「出口の議論」に関わっていくかが注目される。
 
(4)その他の重要問題をめぐって

 以上のように、連立政権の下で、公明党は独自の政策よりも与党としての立場を優先してきたことは明らかである。ただし、自民党との違いを表明することが全くなかったわけではない。いくつかの重要問題では、一定の「ブレーキ役」を演ずることもあった。この点を指摘しておかなければ公正を欠くことになろう。

 その代表的な例は、憲法問題である。公明党は、時代状況の変化によって必要になれば、新たな条項を加えればよいという「加憲」の立場に立っている。とくに、「憲法第9条については、第1項、第2項を堅持した上で、自衛隊の存在や国際貢献等について、『加憲』の論議の対象として慎重に検討していきます」(公明党マニフェスト二〇〇五 当面する重要政治課題)として、早急な見直しには反対している。

 また、教育基本法についても、「基本理念は堅持しつつ基本法を補完・補強するための見直しの検討は必要である」としながらも、「見直しを検討するにあたり、『国を愛する心』を法律で規定することについては、戦前の反省を踏まえて慎重に検討する必要があります」(同前)としている。自民党の狙う「愛国心」規定の導入には抵抗しているのである。

 小泉首相の靖国神社への参拝についても神崎代表は強い不快感を表明し、国立追悼施設建設に向けての調査費を計上するよう要求した。これに対して、小泉首相は「政党が違うんだから全部意見が一緒である必要はない」と述べている。この問題で、公明党が連立解消などの挙に出る心配はないと見透かしているからである。
 
 ■公明党の陥ったジレンマ

 今の我が党は、公明党への大変な決断への緊張感と謙虚さがなくなってきているのじゃないか。公明党も今は連立政権をささえなくてはいけないという責任感が強すぎて、時に立党の原点を忘れがちになり、謙虚さと緊張感がやや薄らいでいるのではないかと心配しています。(野中広務「さらば政界」『朝日新聞』二〇〇三年一〇月一〇日付)
 
 これは、小泉首相に破れて政界を去った野中広務元自民党幹事長の述懐であった。本稿で見たとおり、この野中氏の指摘は、基本的に今もそのまま通用する。「基本的に」というのは、「時に立党の原点を忘れがち」ではく、ほとんど忘れ去られてしまったのではないかと思われるからである。「謙虚さと緊張感がやや薄らいで」という指摘も、「完全に薄らいで」と修正した方がよい。

 一〇月二三日に投開票された参院神奈川補選では、自民党公認、公明党推薦の川口順子前外相が大差で当選した。この選挙に際して、斉藤自民党県連幹事長は、益田公明党県代表代行と、「二年後の本選では必ず(川口氏を)比例に回す。今回だけ、自民党候補を応援して欲しい」と「約束」を交わしていたという(『朝日新聞』一〇月二八日付)。神奈川選挙区には、二〇〇七年に改選期を迎える公明党の松あきら議員がいるからである。

 この参院補選では、公明党は自民党と合同選対を組んだ。これを「自公融合」と呼んだ「公明党中堅」の言葉が紹介されている(『朝日新聞』同前)。神奈川県では、〇七年の統一地方選挙に向けて、「自らの議席を狙わず自民党に協力することも検討」されているという。「自公融合」は、国政選挙だけでなく、地方選挙のレベルにも及びつつあるということになる。

 しかし、すでにみたように、国政選挙のバランスシートは公明党にとって厳しいものである。公明党は自民党に対する選挙協力の見返りを十分には受けていない。「融合」とまで呼ぶほどの緊密な協力によって利益を得ているのは自民党の方であり、公明党ではない。しかも、融合が進めば進むほど、公明党の独自の姿は見えなくなり、その結果、自民党が強力になればなるほど公明党の影響力は低下する。

 公明党の方は「立党の原点」を忘れるほどの「大変な決断」をしているのに、それを当然のように考える自民党はますます「緊張感と謙虚さ」を失っているのが現状である。こうして、公明党の置かれている「現点」は、立党の「原点」を実現するためだったはずの連立参加によって、かえってその「原点」が薄められてしまうという大きなジレンマを抱えることになったのである。
 
 ■むすび
 
 公明党は過去六年間、自民党との連立政権に参加し、「改革のエンジン役として」(総選挙でのマニフェスト)新自由主義的な「構造改革」路線を推進してきた。二〇〇五年九月三日、自民党の山崎拓前自民党副総裁は衆院福岡二区での街頭演説で「自民党と公明党は『異体同心』の関係だ」と述べている。それほどに、両党の関係は深まっているということだろう。

 しかし、「改革」の結果、国民の負担は増大し、社会階層間の格差は拡大した。公明党の支持母体である創価学会員の多くは「下流階級」に属しており、その多くは「負け組」の一員となっている。この面でも、創価学会・公明党は、連立参加に対する反対給付を十分に受けているわけではない。

 それとも、巷間、噂されているように、「構造改革」の推進によって格差が拡大し、「負け組」が増大することこそ、公明党にとっての一種の反対給付なのかもしれない。現世での幸福を諦め、宗教に救いを求める人々は「学会予備軍」となる。創価学会の勢力拡大のために、このような「下流階級」を増大させることこそが、実は公明党にとっての隠された目的だというのだろうか。

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