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ウルフ爺さんの原稿にもあるように、
http://www.ishiikazumasa.com/roaring/2005/12222005.html
>今の右翼は遊びです。ナアナアの自己満足では運動の実は
>結びません。それだから五十年も過ぎたのです。同じ失敗を
>繰り返さないためにも、真の世界平和に不可欠な点を読み
>取ってくれることを期待しています。
今の右翼(右派の愛國運動)は自己満足や仲良しクラブのよ
うにナアナアの面が多い。そんなことだから、女衒のように複
数の女連れで徘徊している元政治団体の長やら、ある程度名
前の知られている団体の会合でさえ、「ウルフ爺さんを参加させ
たら」というと、ベソをかいて「会が潰れるから勘弁してください」
とは・・・。つまり天皇であれ先の戦争であれ、自分たちに耳障り
のよいことで(時には飲み食いして)シャンシャンで終わりたいの
である。まるで不祥事企業の株主総会のようである。そんなこと
だから何の前進もなく、反日勢力の跋扈を許す。
昨夏のNHKの靖國問題の討論会でも、靖國擁護側からは
上坂冬子氏と所功氏、靖國反対側からは韓国人の東大教授
(以下韓国人教授と記す)と、もう一人は岡本か岡田とかいう関西
の大学の教授? が出演。この中で韓国人教授の理路整然とした
突込みに、所氏はしどろもどろ。それはそうである。韓国人教授が
「ではA級戦犯に戦争責任がないとしたら誰にあるのか?」と質問し
ても、「戦犯はいない。」「東京裁判で作られた戦犯はいない。」とで
も言えばいいものを、しどろもどろに「それはみんなに・・・」。つまり
所氏ぐらいになれば究極の責任といえば統帥権の天皇にあった
ことは内心ではでわかっているのである。それを自分の保身と臆
病の為に「天皇」と口に出せないから、しどろもどろに「みんな」と
いう訳のわからない答弁となる。誰が見ても、一部の靖國バカや
狂信的な右翼でない限り、韓国人教授に軍配が上がる。こんな
ことなら出ないほうがいいのである。ここ何十年も愛國陣営に
名を連ねている学者どもの多くはこれと似たり寄ったりの繰り返し
で座を汚してきたである。
同じウルフ爺さんのページにあるように、
>日本人の間でしか通じない「惻隠の情」とか「思い遣り」は世界の
>人には通じません。ましてタブー如きは ! !
日本人やマスコミにとってタブーのようになっている「天皇」は、
世界では通用しないのである。このようなくだらない答弁を繰り
返すごとに、靖國は貶められ、世界からは靖國擁護陣営は我田
引水のような印象を受けて、信用されなくなるのである。それを
後にネットで見ても韓国人教授を非難批判するような保守陣営の
書き込みが圧倒的であったから、これらの役立たず学者どもを
延命させているのが、保守大衆の多くということとなる。つまり彼
らは間接的に靖國を貶める手助けをしているということに気が付
かなければ、何の前進もない。
また戦争体験(というよりも戦場経験)のある人が、二言目には
「弾の下をくぐって来た」と後進たちの意見を入り口で退ける傾向
がまだ見受けられるが、これは感心しない。何故なら今問題なのは
戦後六十年の日本の歩み方であり、彼らは其の時期日本の中枢に
いながら、何をして来たのかということの方がはるかに重要なので
ある。それを六十年前に遡って「戦場経験」「弾の下」云々・・・という
ことは、例えて言えばプロ野球の改革が問題視されている時に、
何十年も前に甲子園で沸かせた高校球児が、プロ野球では大した
実績も無いか、プロ野球に入ったことも無いくせに、「甲子園に出た」
ということだけでプロ野球の改革に大きな口を挟むのと大して変わら
ない。
以前終戦時少佐だった人が戦後学校の教頭で退職した時に
「教育の左傾化に教頭で勇退」という下りがあったので、「それは
勇退≠ナはなくて敵前逃亡≠ナはないか? 左傾化を憂慮する
のであればギリギリまで現場にとどまって修羅場を潜るのが本当の
愛國である。勇退≠ネどと格好をつけて、修羅場から逃げてのう
のうと年金生活に入ってから、口先だけで格好をつけないで欲しい。
こういう人が多すぎたので今の日本になったのである。」というと、
いやな顔をされた。
だいたい戦時中の日本の惨状といえば、戦地にいた人よりも銃後
で日本国内で苦労した者の方がはるかに実情に詳しい。
一部の戦場経験者やそれに追随する者が「戦場経験」「弾の下」
云々・・・と言えば、彼らはもしウルフ爺さんが「六十年安保等のサヨ
クとの血まみれの闘争経験」と言えばどう答えるのか? 同年代の彼ら
は其の時何をしていたのか? 等々。過去の経験経験とそれを錦の
御旗のように言い出せば、それぞれの経験は千差万別でキリが無く、
纏まるものも纏まらなくなる。
過去の経験は前向きに生かしてこそ価値がある。今求められて
いるのは、戦場経験云々だけを突出させるのではなく、総合的な
戦後六十年の日本の歩みの検証や建て直しの方策である。
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