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(2005年12月30日記)
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/file128.htm
12月23日付の中国新聞で、平成天皇の記者会見での発言が全文掲載されており、「初めての海外(注:サイパン)での慰霊についてのお気持ちや、かの地で感じたこと、今後の慰霊の在り方、次世代への継承などについて陛下のお考えをお聞かせ下さい」という質問に対し、平成天皇は、「質問に従って十分にお答えができるよう紙にまとめましたので、それに従ってお話ししたいと思います」と前置きの上、答えています。その中で特に記者の質問には直接含まれていないにもかかわらず、天皇が歴史認識のあり方に言及している部分がありました。以下は、彼の発言です。
「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。戦後60年に当たって過去のさまざまな事実が取り上げられ、人々に知られるようになりました。今後とも多くの人々の努力により過去の事実についての知識が正しく継承され、将来にいかされることを願っています。」
この発言については、私の承知する限り、メディアもほとんど注目しなかったと思います。しかし読みようによっては、靖国参拝にこだわる小泉首相、侵略戦争に明け暮れた過去の日本を美化しなければ気が済まない保守政治や新自由主義史観の人々に対する大変重要な問題提起であると、私は受け止めました。
私自身は、昭和天皇の戦争責任を明確にしない限り、日本の将来に対する明るい展望を切り開くことはできないと常々感じていますし、7月30日に広島平和研究所主催のシンポジウムでもそのことをハッキリ指摘しました。また、日本国憲法が天皇制を残したことは、戦後民主主義に重大な曖昧さを残すことになったと認識しています。
その点を明確にした上で、あくまで公正を期する立場から、メディアが無視した平成天皇の以上の発言を重要なものとして評価し、少なくとも私のHPを訪れてくださる方々に彼の発言内容を紹介することが意味のあることだと考えた次第です。特に彼が「質問に従って十分にお答えができるよう紙にまとめました」と前置きしていることは、以上の発言が単なる思いつきの次元に留まるものではないことは明らかです。
「昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした」ということは、日中戦争から太平洋戦争に至るいわゆる15年戦争の期間を、平成天皇が否定的に認識していることを示唆するものと私は理解しました。「この過去の歴史を…正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」という発言は、日本の右傾化に対してアメリカにおいてすら警戒感が現れていることを背景に、日本が異常な歴史認識にこだわることによってアジアひいては国際社会において孤立を深めつつある現状に対する彼の憂慮を示してはいないでしょうか。「今後とも…過去の事実についての知識が正しく継承され、将来にいかされることを願っています」という発言も、正しい歴史認識の必要性についての彼なりの精一杯の意思表示であったのではないかと、私は理解します。
正確な内容は忘れましたが、将棋の米長九段が平成天皇に対して、確か日の丸君が代について積極的に推進する趣旨の発言をしたのに対し、慎重な対応を望む気持ちを明らかにしたことがあります(このときは、囲み記事としてであったと記憶しますが、メディアでも一応取り上げられました)。そういう経緯を背景にして今回の彼の以上の発言を読むとき、彼が右傾化を深める日本の現状に対してかなり深刻な問題意識を持っているのではないかと思いました。
私は、憲法に定められた象徴天皇のあり方からすれば、平成天皇の以上の発言は「憲法違反すれすれ」ですらある政治性の濃いものであったと感じます。それはそれとして、願わくば、小泉首相、麻生外相、安倍官房長官をはじめとする保守政治の面々、そして新自由主義史観の論者たちが天皇の以上の発言を正面から受け止め、自らを戒める材料にすることを、ですが、都合の悪いことには目を向けないのが彼らの常套手段ですから、天皇の精一杯の発言もおそらく無視されっぱなしで終わるのでしょうか。
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