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2005年森田実政治日誌[549]
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02374.HTML
マスコミに猛省を促す――政治権力と癒着し、政治権力の手先、権力の番犬となることだけはやめてくれ/小泉首相の「鶴の一声」の独裁政治を支えるマスコミの堕落
「いかさま師とそのカモとは、まったくの同一の中身をもつものの上側と下側であって、問題多き人物なのである」(カーライル)
原田武夫著『騙すアメリカ 騙される日本』(ちくま新書)がよく売れている。「騙すアメリカ 騙される日本」と同じような構図が日本国内に蔓延している。「騙す小泉政権 騙される日本国民」「騙す大企業 騙される中小零細企業と国民」「騙すマスコミ 騙される国民」「騙す強者 騙される弱者」……。いまの日本、いかさま師が大手を振って社会の指導層を乗っ取っている。マスコミの指導層も同類である。彼らの多くは、いかさま師であるとともに、より上の政治権力者のカモである。2006年の課題は、わが国のこの邪悪なる状況を掃除し洗濯することにある。マスコミ内のジャーナリストに訴える。ジャーナリストの良心を取り戻せ!
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「純の一声」という言葉を耳にした。「鶴の一声」(権力者が、大衆を威圧し否応なく従わせる一言)をもじったものだ。「純」とは、言うまでもなく小泉首相のことである。
すべての政治上の決定が「純の一声」で決められている。「純の一声」が発せられると、政界、官界、マスコミがすべてひれ伏し、議論もしないまま、国政上の重要な決定がなされる。これは独裁である。
この「純の一声」を真っ先に支持して国政上の決定にしてしまう、このお先棒を担いでいるのが大新聞と民放テレビなどのマスコミである。
現代社会におけるジャーナリズムの真の役割は、真実を国民に伝え、民主主義を守り、言論の自由を守り、国民の権利を守ることである。これが、本来のジャーナリズムの役割である。
しかし、ジャーナリズムの支柱でなければならないマスコミとマスコミ内部で働くジャーナリストは、「純の一声」を真っ先に支持して、独裁政治の用心棒に成り下がってしまっている。
これほどの不条理があるだろうか。これほどの理不尽があるだろうか。国民に対するこれほどの裏切りがあるだろうか。
2005年の終わりにあたり、マスコミ内で働くジャーナリストの自省を求めたい。来年は、権力の手先になるな!――と。
政治権力と全マスコミが一体化したら、これは、もはや無敵である。マスコミ人よ、反省せよ!
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