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(回答先: 耐震偽造被害に「自己責任」?(土佐のまつりごと)【○○学会のマンション住民、ここまで言うかのあきれた言説】 投稿者 gataro 日時 2005 年 12 月 27 日 11:47:13)
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-112.html から転載。
この記事を読んで改めて「自己責任」論について思う。
国の責任や行政の責任を回避するために、これほど都合のいい理屈はないだろう。
これが行き着く先は、弱肉強食の世界であり、小泉総理が大好きなウエスタンの世界である。
「安心のファシズム」の筆者が、「自己責任」というキーワードがいつの時代から「流行」しはじめたか、という考察をしていた。
それによると1990年代に入ってからだそうである。
「規制緩和」と軌をひとつにして持ち出され、イラクで人質になった高遠さんらに、首相周辺や右派ジャーナリズムから悪意をもって投げつけられた。
しかし、考えてみるがいい。
その車が安全かどうかは、消費者である個々人が自己責任によって買うべきだということがまかりとおったら、いったい誰が利益を得るのか考えれば明らかだろう。
つくった側の責任も問われないし、それを売った側の責任も問われない。もちろん政府機関は、その取引に関与しないから、なんらの責任は問われないということになる。
これほど企業やお上にとって都合のいいことはないだろう。
しかも、消費者がそれが安全かどうか判断するためには、専門知識や専門的な機器などがなければわからないことであるから、そういうものを持てる金持ちだけが安全を享受し、貧乏人は、安全かどうかわからないものを命をかけて乗らなければならないことになる。
車を食品その他に置き換えてもよい。どんな殺伐たる社会が実現することになるがは明らかだ。
これが「規制緩和」、「自己責任」論をつきつめたものである。
ところが、このトンデモナイ理屈がいかにも水戸黄門の印籠のごとく、充分な吟味をうけることなく幅をきかせてきた。しかし、この姉歯前建築士の事件は、そのトンデモナイ理屈の正体を明らかにしてくれている。
小泉内閣のすすめる「民営化」、「小さな政府」論の行き着く先を告発したたかおう。
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