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「使命」を終えたヨハネ・パウロ2世;『バチカン=オプス・デイ=CIA』軸への考察
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/1006.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 4 月 02 日 23:17:33: SO0fHq1bYvRzo
「使命」を終えたヨハネ・パウロ2世;『バチカン=オプス・デイ=CIA』軸への考察
ヨハネ・パウロ2世は、ある特別の「使命」を帯びてバチカンに送り込まれた教皇である、といえます。こいつを詳しく研究し始めますと本当に限りがなくなるほど膨大な量になってしまいますので、ここではこのカロル・ヴォイティーワ在位27年の「裏から見た軌跡」についてザッとしたまとめを行い、今後の多くの人々による世界現代史の研究と考察に対して一石を投じることとします。
●ポーランド人カロル・ヴォイティーワは1978年10月16日に、ヨハネ・パウロ2世としてローマ教皇に就任しました。しかしこのコンクラーベでの彼の選出に関連して、どうしてもその前任者ヨハネ・パウロ1世アルビーノ・ルチアーニの不可解な死について触れざるを得ないでしょう。
もうすでにご存知の方も多いでしょうが、在位わずかに1ヶ月で、ベッドの中の死体で発見されたヨハネ・パウロ1世に関しては、今も根強い暗殺説があります。例えば次の書評にはジョン・コーンウェル著「バチカン・ミステリー」が紹介されています。
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バチカン・ミステリー
http://www010.upp.so-net.ne.jp/iraija21/dokushohome/vatican.html
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もっともこの本については次のような反応があります。
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MADE IN JAPAN過去ログ:「バチカン・ミステリー」〜使い尽くされたヨハネ・パウロ1世の死
http://www.wafu.ne.jp/~windtown/books/b020203.html
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まあ、ホロコースト、ケネディ暗殺、9・11などなどでも「当局発表」の大樹に寄りすがりたい「常識」好きな日本人が多いのですが、これなどもその田吾作的発想の一例で、なかなかほほえましいものです。
次は典型的な「非常識」なのですが、ネット上で探してみる限りは、日本でこの教皇の死について一番詳しく書かれているのはこれでしょう。ただしこれは「ミカエル大王様」のお言葉がおどろおどろしい「忍」の字の文章ですので、そのお積りで。
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バチカン僧侶の造反について
http://hiroshima.cool.ne.jp/h_sinobu/batikann1.htm
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ただこの「ミカエル大王様」、どうやらオプス・デイはご存じなかったと見えて(あるいはオプス・デイの正体を隠すために90%の真実に10%の嘘を混ぜて発表したか)、後任のヨハネ・パウロ2世に関してはまるでチンプンカンプン、これまたなかなかほほえましい文章です。
次に英語での資料ですが、次のサイトに英国人デイヴィッド・ヤロップがまとめたレポートが、21の章に分けて載せられています。次のUrlから入って右側にある[Opus Dei : pope 1][同2]等となっている箇所の[continue reading]をクリックしていくと全文が読めるようになっています。(このサイト自体はUFOとか超常現象などにも触れているようで、このページの下のほうには女性の裸などもあります。)
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jAmOOi Opus Dei : pope 1 - 21
http://www.jamooi.com/world/modules.php?name=News&file=categories&op=newindex&catid=24
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この最後の章は結論として次のようになっています。これは特別にここに示しておきます。
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They killed the REAL Pope!
http://www.jamooi.com/world/modules.php?name=News&file=article&sid=268
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このデイヴィッド・ヤロップの文章は日本語訳されていたようです。
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★ 『法王暗殺』 デイヴィッド・ヤロップ著/文芸春秋/1985.04/\1,500
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ただこれがすでに廃刊になったのか、あるいは現在でも発売されているのかどうかはわかりません。
先ほどの「バチカン・ミステリー」はP2(フリーメーソン+マフィア)主犯説、この「法王暗殺」はオプス・デイ主犯説ですが、これについての私なりの判断はずっと後のほうで申し上げましょう。
●次に、手前味噌になりますが、私の阿修羅投稿の中からです。
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http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/556.html
日時 2004 年 1 月 13 日 09:03:09:
イベリア半島「百鬼昼行図」 その5:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ
(2)米国中枢部に食い込む「バチカン=オプス・デイ」
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【引用開始】
アメリカとバチカンの間には、第2次大戦後も長い間正式な国交が無かった。トルーマン時代には多少のコネクションはあったが、それも途絶え、1951年から1968年まで公式な接触は全く無かった。その後ニクソンは「私的な代表者」という名目でヘンリー・カボット・ロッジをバチカンに派遣する。カーターは同様に、後にニューヨーク市長となるロバート・F・ワグナーを送り込んだ。そしてレーガンの時代、1984年にアメリカとバチカンは正式の国交を結び、アメリカはウイリアム・A・ウイルソンを大使大使として派遣(84−85)。2代目はフランク・シェークスピア(86−89)、現在はジム・ニコルソン(01−)である。
詳しくは次のアメリカの「カトリック・エクスチェンジ、01年8月25日」のサイト(英語)を見てもらいたい。ただしこれはアメリカの「正統的」カトリックの立場で書かれており、もちろんオプス・デイについては全く触れられていない。
http://www.catholicexchange.com/vm/index.asp?art_id=8969
【引用終り】
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ここでなぜいきなり米国とバチカンの関係を取り沙汰すか、といいますと、私はこれがヨハネ・パウロ2世の誕生とその27年間の活動に根本的な関わりを持っている、とにらんでいるからです。
上に引用した文章の中で、米国とバチカンの間に「1951年から1968年まで公式な接触は全く無かった」と書きましたが、もちろんのこと「非公式」な接触は大いにありました。一つはバチカンに出入りする米国人司教や枢機卿を通して(この間にカトリックを本質的に変化させたバチカン第2公会議が行われる)ですが、もう一つ重要なコネクションとして、中南米での主にCIAとオプス・デイを軸にしたつながりです。
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(バチカン第2公会議については次を参照してください。)
http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/134.html
日時 2004 年 2 月 18 日 23:26:28:
イベリア半島「百鬼昼行図」 その7:オプス・デイはカトリック内の「ユダヤ勢力」の代理人か?
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例えば、1963年にアルゼンチンに誕生したイリア政権は米国系石油企業を接収するなど民族主義的な政策を進めたのですが、そのイリアは66年のオンガニアによる軍事クーデターで追放されます。この裏に米国が潜んでいることは容易に想像がつくでしょう。同時にオンガニアは熱心なオプス・デイの信奉者だったのです。1950年にアルゼンチンに進出していたこの教団はすでに資本家やカトリック教会、軍部の中で無視できないほどの勢力になっていたわけです。これに関しては
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中南米各国年表
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronindex.htm#各国年表目次
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および
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http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/126.html
日時 2004 年 1 月 05 日 03:56:30
イベリア半島「百鬼昼行図」 その4:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ
(1)バチカンを牛耳り中南米を操る悪魔的カルト集団
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をご参照ください。
また1973〜76年にCIA長官を務めたウイリアム・コルビーは次の長官となるジョージ・ブッシュ父といっしょに数々のスキャンダルのもみ消しと隠蔽を図って、レーガン政権でのCIAの位置と役割の確立に多大の貢献をしたのですが、彼がオプス・デイの重要関係者であったという説は米国社会では根強いものです。
そして米国とバチカンが正式に国交を結ぶまでの間に、中南米で反米(親ソ)勢力に対する徹底的な圧殺が続いたことはよくご存知のことと思います。1964年ブラジルのカステロ・ブランコに支持された軍事クーデターと軍政の開始、1973年チリのピノチェット軍事政権誕生、1976年アルゼンチンのビデラによるクーデターと彼の軍事政権発動、1979年に誕生したニカラグアのサンジニスタ政権に対する転覆と徹底した弾圧、等々、数え上げていくときりがありません。特にチリのピノチェット政権が誕生した翌年の1974年にはオプス・デイの創始者ホセ・マリア・エスクリバー・デ・バラゲー(現在は何と聖人!)自らがローマからサンチアゴに出向いて、軍事政権幹部を直々に祝福しています。(エスクリバーを聖人に仕立て上げたのはもちろんヨハネ・パウロ2世。)
で、その多くはCIAとオプス・デイを中心にしたカトリックの共謀によるものでした。ただこの辺の良質な資料は残念ながら英語よりもスペイン語のほうに圧倒的に多く、これは直接お目にかけることは困難です。英語の資料についてはチリのピノチェット・クーデターと軍事独裁に関するものがあります。例えば
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http://www.zmag.org/ZMag/articles/pettiferapril2000.htm
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あるいはインターネットの検索で[pinochet opus dei cia]あたりで調べてみたらいくらでも出てくるでしょう。
そして1984年の正式国交樹立の2年前には、CIAが組織したコントラによるサンジニスタ潰しと民衆への大虐殺が続く中、オプス・デイの傀儡ヨハネ・パウロ2世がニカラグアに出向き、サンジニスタを悪罵し「解放の神学」派を冷たくあしらって、レーガンとブッシュ父を喜ばせています。
一方でヨーロッパでは1970年代の後半に、スペインのフランコ独裁政権を終了させ立憲王政による民主国家への移行を、当のオプス・デイ自らの力で行っています。このきっかけとなったETAによるフランシスコ・フランコの後継者カレロ・ブランコの暗殺にはどうやらCIAが深く関わっており、当然のことながらオプス・デイの承認と協力があった、という可能性が高いと思われます。これに関しては
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http://www.asyura2.com/0411/war61/msg/1062.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 10 月 26 日 22:20:03
ETAとCIAはつながっている!?
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および、『真相の深層』3号にある童子丸開著「聖なるマフィア----オプス・デイの素顔を暴く 第2部 スペイン現代史の不整合面」をご参照ください。
●さてさて、米国とバチカンた国交を結んだ80年代の半ばから、東欧の様子がなんだか怪しげにゆれ始めました。ご存知ポーランドの「陽気なワレサ」率いる労働組合「連帯」が活動を活発化させはじめたのです。このヨハネ・パウロ2世の同胞がオプス・デイの会員であるという話は広く伝わっています。もちろんですが、2002年の教団創始者エスクリバー列聖の儀式には、信徒や支持者に混じってワレサの姿が見られました。
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(参考例:英語資料)
http://www.lkwdpl.org/wildideas/mysticalgeography.html(文章中盤、上から3分の1)
http://users.cyberone.com.au/myers/poland.html(文章の末尾)
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このワレサを得意げに日本に招いたのが当時の日本社会党、今の社民党ですが。後ろに何が控えていることやら。
【ワヤクチャ】第4インターナショナル日本支部もワレサを礼賛しておりました。
この「連帯」によるポーランドソ連圏政権の転覆(1989年6月の総選挙、9月の非共産主義政権誕生)が、いわゆる「東欧革命」の口火を切り、その年の12月3日に、バチカンの仲介でソ連大統領ゴルバチョフ(2005年3月のマドリッド会議主催者の一人!)とジョージ・ブッシュ父(元CIA長官、レーガン時代の事実上の「大統領」)によるマルタ会談で、第2次大戦終了後から続いていた「冷戦体制」の解消開始が宣言されたわけです。
そして世界は次の10年間で、「冷戦体制」を徐々に解体させて次なる幻想の体制である「反テロ戦争」へと移行していくわけです。そのちょうど中間で起こったことが「地下鉄サリン事件」、後半に「アルカイダ」による多くの爆弾「テロ」、その間引き続くバルカン戦争とロシアでのチェチェン紛争、そして21世紀に突入。後は、先日私がまとめた一連の話になるでしょう。
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http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/362.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 3 月 14 日 08:04:54:
大規模集団洗脳の現場報告(4)地下鉄サリン〜9・11〜3・11〜・・・そしてマドリッド日程
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/399.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 3 月 15 日 10:06:22
2006年9月11日(9・11事変5周年)に次の「世界会議」が開かれる
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/846.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 3 月 27 日 04:21:28
「貧困対策」と「対テロ世界戦争」
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●さあ、ここまで見てから再度初めの話題に戻りたいと思います。ヨハネ・パウロ1世の死は何だったのか?
ポーランド出身のカロル・ヴォイティーワをオプス・デイが強力に推していたことは周知の事実であり、同時にヴォイティーワ自身がこの教団と創始者エスクリバーに心酔していたこともまた明白です。そしてそのオプス・デイの横には、実はあのフリーメーソン組織P2がぴったりと寄り添っています。特に首領格であるリチオ・ジェッリは、マフィアと縁の深いミケレ・シンドーナやフィアット社の持ち主アグネッリ家とともに、イタリア社会でのオプス・デイの強力なサポーターでした。
このジェッリについては、第2次大戦終了時に、後にCIAの長官なるアレン・W.ダレスと共に、数万人といわれるナチのメンバーをアメリカ大陸などに逃亡させた「バチカン・ラットライン」を実行した人間で、その後もダレスと手を組んで「ステイ・ビハインド計画」の中心人物となり、KGBとのダブルスパイの噂も高い人物です。なおダレスはロックフェラーとロスチャイルドの両方に信頼を寄せられた人物の一人です。
『CIA〜バチカン〜オプス・デイ〜リチオ・ジェッリ〜KGB』の不思議なつながり。さあこれで「冷戦構造」とその解消の舞台裏が次第に見えてきたようです。
2001年3月に米国でFBI局員のロバート・フィリップ・ハンセンが以前に十数年にわたってKGBのスパイを努めていた、という容疑でいきなり逮捕されました。ハンセンはオプス・デイの会員でした。そしてその上司であるFBI長官ルイス・フリーフが責任ととって辞任したのが6月。彼もまたオプス・デイの重要な関係者であることが明らかにされました。そしてその年の9月に、ニューヨークとワシントンの「連続テロ」。こうして「対テロ世界戦争」第1幕が切って落とされたのです。
以前に私は、このハンセンの逮捕を「ブッシュ=ネオコン政権のオプス・デイに対する恫喝」ととらえたのですが、今となってみると、要するに「口封じ」でしょう。「対テロ世界戦争」という「冷戦」に続く幻覚の構造を作る際に、以前の幻覚の後始末をしておかねばならないからです。現在チリで行われているピノチェット裁判、アルゼンチンで開始されようとしているビデラ裁判もその一環です。
これで、1970年代後半から今年まで続いたバチカンの「カロル・ヴォイティーワ政権」が果たした役割、彼の「使命」が明らかになるでしょう。
私は断定しておきます。ヨハネ・パウロ1世の死は暗殺だった、と。そしてそれを実行したのがバチカン内にいるオプス・デイとP2メンバー、その背後に控えのがCIA、もちろんブッシュ父とヘンリー・キッシンジャー、そしてその上にいるのは・・・、ここまでくるともう私には見えません。おそらくロスチャイルドかロックフェラーあたりかな、とは思いますが、この点はあいまいにしてぼかしておきましょう。
そして2005年、9・11から3・11までを総括して次の10年間の戦術を決めたマドリッド会議も無事終了して、ヨハネ・パウロ2世はその使命を終えて他界することになります。ご苦労さんで! どこが平和主義の教皇だ! イラク戦争に反対しただと? 臭い芝居打ちやがって! コノヤロー!
(私は広瀬某みたいに「地獄に落ちろ」とは言いません。地獄など信じていませんので。)
【付録:オプス・デイに関する英語資料の一部】
The Catholic Secret Societies : Opus Dei, The Knights of Marta and P2
http://www.bridgeoflove.com/bookstore/icke/magazine/vol16/articles/catholic-societies.html
Opus Dei as a Political Force in Post Cold War Latin America
http://www.paulrich.net/papers/opusdei.html
Holy Smoke and Mirrors The Vatican Canspiracy
http://www.nexusmagazine.com/articles/smokemirrors.html
How a Tyco Lawyer Channeled : Windfall Into an Unlikely Cause
(タイコ不正疑惑、イラン・コントラにも関与するオプス・デイ)
http://extremecatholic.blogspot.com/html/tyco.htm
Was FBI Agent's True "Loyalty" To Opus Dei?
http://www.pacificnews.org/jinn/stories/6.31/010305-spy.html
CONSERVATIVE CATHOLIC INFLUENCE IN EUROPE
http://www.population-security.org/cffc-97-01.htm
Muscular Catholicism
http://www.thetablet.co.uk/cgi-bin/archive_db.cgi?tablet-00580
Incomprehensions about Opus Dei(the canonization of Opus Dei founder)
http://www.nationalcatholicreporter.org/word/word1011.htm