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通貨は、活動力の交換手段として位置づけられ、使われないまま貯め込まれるという“余剰通貨”問題は存在しなくなる。
人の活動力そのものが保存できないものだから、その表象である通貨も蓄蔵できないものとなる。
これは、「近代経済システム」においても同じ論理が通底しているのだが、愚かにも理解されていないだけである。
デフレ不況の根源要因である“余剰通貨”問題の発生は、基本的に、通貨の蓄蔵性に拠るものである。
供給(活動力)に見合う需要(通貨)がなければ、デフレ不況になるのは自明である。
デフレ不況になるということは、無駄な供給(組織された活動力)が行われていたり、需要を実現する条件である通貨的“富”が歪んだかたちで配分されていることの反映である。(かつてそれが見えなかったのは、赤字財政支出でごまかしていたからである)
前述の“余剰労働”が十全に機能していれば、老後・病気・怪我などに備えた貯蓄も不要であり、将来の生活及び生存を支える手段としての通貨蓄蔵は意味がなくなる。
(住宅など個人ないし家族の活動力を対価としてはなかなか補うことができない大量の活動力を必要とする家族向け財の供給については別の機会に説明したい)
一般的交換手段という通貨機能はそれなりに重宝なものであるから、活動力の交換を行う手段として有効かなと考えている。
http://www.asyura.com/2002/hasan13/msg/948.html
上記文章は下記のあっしらさんの投稿の一部です。
【「利潤なき経済社会」に生きる】 「利潤なき経済社会」の“経済論理” 〈その3〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 9 月 10 日 00:09:44:
【ワヤクチャ】通貨が蓄積できないというのはどういう状態なのか?労働の対価をもらったお金を一時的にでも保持できなければそもそもそのような対価をもらう意味が無い。蓄積できないというよりも蓄積していたら目減りしていくという方が実際的なのではないか?