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(回答先: 第一に批判すべきなのは聖書から逸脱した教会と僧職者です。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 1 月 07 日 20:15:19)
カトリック教会に対する批判は、昔からありますし、今もあるでしょう。
ただいくら批判や議論があっても、批判される側がそれに耳を傾けないのであれば何も変わりません。
1世紀のキリスト教について言えば、神殿はなく、祭壇も築かず、十字架像も用いず、職服を身に着け
たり称号を冠せられたりして生活を保証された聖職者もいませんでした。初期クリスチャンは国の祭日
を祝わず、軍役をすべて拒否しました。それでも、クリスチャンという名称で呼ばれた人がすべて、試み
を受けた時、断固としてその立場を貫いたわけではありません。予告されていたとおり、使徒たちが眠
りに就く前に背教の霊はすでに作用していました。
「羊の覆いを付けてあなた方のもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では、彼らはむさぼり食うおおかみです。あなた方は、その実によって彼らを見分けるでしょう」―マタイ 7:15、16。
「わたし(パウロ)が去った後に、圧制的なおおかみがあなた方の中に入って群れを優しく扱わないことを、わたしは知っています。そして、あなた方自身の中からも、弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事柄を言う者たちが起こるでしょう」―使徒 20:29、30。
賢明なクリスチャンであれば、「実によって彼らを見分け」批判することもできたでしょう。(これに対し
カトリック教会は批判を封じるために、信者に聖書を読むことを薦めなくなり、やがて平信徒は聖書を
読むことも所持することも禁止するようになります。)
自分の属する教会に、キリスト教の教えが見出せないのであれば信者は教会を去るしかないでしょう。
確かに今日そのような理由でカトリックを去っていく人々は少なくありません。
しかしこれは、キリスト教は失敗している、という意味でしょうか。それともキリストの教えを実践する
面でカトリック教会に誤りがあったということでしょうか。