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(回答先: 使命を帯びた人々 投稿者 隣人 日時 2006 年 11 月 27 日 16:52:51)
イエズス修道会が、寛容であるとの評判を得ようとしたことは一度もありませんでした。
1540年に「イエズス隊」* の設立を認可した教皇の大勅書には、「闘う教会が支配するために」
という主題が付けられていました。 当時、新しくできたこの闘う修道会は、進行中の宗教的な
闘いでカトリックの教義を擁護するのにぴったりのように思えました。
イグナティウス・ロヨラは追随者たちに、「十字架の旗のもとに……闘う」よう勧めましたが、
「あらゆる者に対してあらゆるものに」#なるようにとも教えています。イエズス会士は、後者の
言葉に付き従えば、前者の言葉をさらに一層成し遂げることができ、また柔軟性は多くの扉を
開くかぎであると信じていました。
やがて、順応性と学識を備えたイエズス会士は、教師、政治家、廷臣、聴罪司祭として引く手
あまたになりました。彼らがそのようになることをロヨラは意図していなかったことでしょう。
彼らは多くの分野、特に政治の分野で成功し、金銭と権力を手にしました。しかし、それは破局
への第一歩ともなりました。
1773年、教皇クレメンス14世は、フランス、ポルトガル、スペインからの圧力に屈し、イエズス
修道会を「未来永劫にわたるまで」解散させました。その目的は、「教会内に永続する真の平和
を確立する」ためでした。イエズス会はその政治的影響力のため、障害になっていたのです。
教皇によるこの決定は41年後に撤回されたにもかかわらず、イエズス会が以前のような目立った
地位を取り戻すことは二度とありませんでした。
今日世界中に約2万3,000人の会士を数えるイエズス会は、解放の神学、司祭の政治への介入、
産児制限などどれを取っても、いまだにカトリックの論争の的になっています。何ものにも屈従
しない彼らの態度に対して法王ヨハネ・パウロ2世は不快感を表わしました。1981年、法王は、
自分が選んだ人物をイエズス会の総会長に就任させるため、イエズス会の選挙手順を回避しました。
それから後、法王は、教会の保守派のとりでとしてオプス・デイの支持者にますます注意を向け
るようになります。
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*「イエズス隊」とは、スペイン人の創設者イグナティウス・ロヨラがこの修道会に付けた名前です。
現在一般に知られている「イエズス会」という言葉を造ったのはプロテスタント信者です。
#コリント第一 9:22の使徒パウロの言葉。
「弱い人たちに対しては弱い者となりました。弱い人たちをかち得るためです。わたしはあらゆる
人に対してあらゆるものとなってきました。何とかして幾人かでも救うためです。」