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まず、情報はどのような経路をたどってきたか?自分の思考回路は感情的にうごかされていないか?「事実関係」について確信を持って言えることはなにか?
マスコミ報道についのってしまいがちな日々の自分を痛苦に受け止めている。
「以前」なにがあろうと「事実関係」が解明されるまでは「推定無罪」の立場を堅持
するのが「常識」と思う。
「分からない」ことは「分からない」と言えばいい。
漱石の「坊ちゃん」にあった。赤シャツの讒言に惑わされて、ヤマアラシを疑い、おごってもらった、カネがホコリをかぶるほど両者のあいだに誤解がとけるまで放置されていた。
ここに伝聞の恐ろしさを感じる。百ゼロならぬつねに百を提示して、大部分の人間がコロリとだまされる。
伝聞=新聞=マスコミ。
時系列なり、場所なり矛盾点なき「事実」をつきつめる「方法論」が必要だろう。
警察のリーク情報に依拠したマスコミによれば「植草教授は痴漢の容疑で逮捕された」ということ以外は誰にも「分からない」のではないだろうか?
「分からない」ことにいくら伝聞情報をつけ加えてみても意味は無い。