★阿修羅♪ > 日本の事件20 > 504.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
□その目撃談は本当ですか [どん底あるいは青い鳥。]
http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-120.html
2006/08/15
その目撃談は本当ですか
秋田の事件をまた少し。大沢橋での目撃証言について「橋の上で母娘を見た」という話は、彩香ちゃんが失踪した4月9日のうちからすでに存在した…というコメントをいただいた。以下の2件である。
(新潮の記事によれば)彩香ちゃんが遺体で発見された4月10日に藤里小で臨時のPTA集会があり、子供たちへの対応が話し合われました。その帰り際に4年生の児童の父兄数人が玄関で立ち話になったそうです(豪憲君の兄が4年生なので米山さんも4年生の父兄でもあるわけです)。
その時、その中の父親の一人で今回の目撃者の夫である人が「橋の上に母親と娘のような二人がいたらしいんですけど……」と言いかけたそうです。しかし、別の父兄に「まだよくわからないことを口にしないほうがいいのでは」と言われ、それきりになったとありました。
「……確かに、その時点で不明確な話はするべきではないと私も思いましたし、私たちは真相を究明するような立場にはなく、その話を突き詰めて調べるのは不可能。それは警察の仕事です」(引用元―元記事は週刊新潮7月27日号)
http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-118.html#comment351
真相を究明するのは警察だと言っても、市民が目撃証言を寄せてくれてこそ、警察も真相を追求できるというものだ。目撃者に話す気がないのに、その人が何を知っているかも知らない警察官を「聞き出す技術がなってない」などと責めるのはただの言いがかりだろう。
メディアが問うべきは「なぜすぐに通報しなかったのか?」と目撃者自身に問うことだ…と思ったら、新聞によってはちゃんと聞いてくれていたらしい。
「目撃情報を寄せた女性の家に彩香さんが行方不明になった当日、捜査員が訪れていたが、肝心の「目撃」について聞き出せなかった。女性の夫は「本当に畠山親子だったのかはっきりせず、あの段階で『母親が犯人だ』みたいなことは言えなかった』と振り返る」(引用元―元記事は2006/08/10朝日新聞朝刊総合面「時時刻刻」)
http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-119.html#comment366
とにかく目撃談は失踪直後に出ていることから、目撃者は5月になってジンワリと頭の中で偽りの記憶を作り上げたわけではなさそうだ。しかし「本当に鈴香親子だったかどうかははっきりしない」わけだから、この「目撃者」の言葉は「大沢橋からの突き落とし」の証明にはなりそうにない。「彩香事件には証拠がない」とメディアが言うのも頷ける。
おもしろいのは、目撃したのは妻のほうだが、外部にそれを洩らしているのは専ら夫のほうだということだ。大沢橋での目撃者がいると初めて報じられたとき「目撃者は複数」で「男性もいる」と伝えられた。「夫婦で見た」という報道もあった。実際には「目撃者は一人」で「女性」だったが「複数・男性・夫婦」というのは、この夫も勘定に入れてのことだろう。
「橋での目撃談を誰から訊きましたか」と問われれば、近隣住民がまず答えるのは夫の名前…といったところか。積極的に喋る夫が「不確かな目撃情報とその解釈の増幅装置」となっている。証拠もないのに「あの人が犯人では」と言い出すイイカゲンさは当ブログも同じであるが、秋田の場合「鈴香が犯人では」というのは目撃者の夫側の見立てである可能性が高い。
妻が夫に「何をどう話したか」の正確なところはわからないのだ。実際のところ、妻は自分の目撃したことをどう思っているのだろう。我が子の同級生が失踪し、その母親がその子を探して自分にも電話をかけてくる。実に自然な流れである。この状況で「母親が殺したのでは」と想像する人はあまりいない。ふだんからその母親が「子どもを殺しそうな人物」ででもない限り。
あるいは実際に母親が子どもを殺すところを見たか――この妻の場合には、自分が目撃したのが鈴香親子だという確信があれば「鈴香がやったのでは」という想像も可能だ。しかしその確信は警察に通報できるほどのものではない。この目撃者(夫婦)における「目撃内容の曖昧さ」と「犯人は鈴香だという確信の強さ」の間にはかなり大きな乖離がある。
この夫婦はもともと鈴香に偏見あるいはネガティブな感情を抱いていたのではないだろうか。鈴香かどうかもわからない人物を通りすがりに見ただけで、しかもその直後に失踪した我が子を探す電話を当の鈴香からもらっていながら、なおも「鈴香がやった」と信じている。そこには何か特殊な理由があるはずだ。
夫のほうは「鈴香のやりそうなことだ」と妻からの伝聞を無邪気に増幅させている。伝聞だから気が楽だ。伝聞の内容に責を負うべき妻は夫の陰に隠れている。だが午後7時過ぎには鈴香は自宅近くの売店に「彩香は来てないか」と訪ねているから、6時45分に目撃者が通り過ぎたあとで彩香を落として急いで戻って何食わぬ顔で御近所訪問…などというのは無理がある。
であれば、目撃者は橋の上で何を見たのか。女の子が失踪し、まだ何もわからない時点で「大沢橋」「日没後」「彩香」というキーワードをどこから捻り出したのか。別人を鈴香だと信じたのなら「あのとき大沢橋で川を見ていたのは実は私たちです」と申し出る人がいそうなものだ。だがそんな人はどこにもいない。橋にいたのは誰なのだろう?
夫には話す、警察には訊かれても話さない。夫が「犯人鈴香じゃね?」と話を膨らませ周囲に触れ回るのを黙って聞いている。警察は彼女の目撃談を参考にして、鈴香が彩香を大沢橋から突き落としたという話を作り上げてしまった。自分の嘘が誰かの運命を大きく曲げてしまうことを、この「目撃者」は怖ろしいとは思わないのだろうか。
▽関連記事
彩香事件は冤罪らしいね [どん底あるいは青い鳥。]
http://www.asyura2.com/0601/nihon20/msg/467.html
投稿者 white 日時 2006 年 8 月 09 日 22:14:40: QYBiAyr6jr5Ac
最後の目撃者は後悔するか [どん底あるいは青い鳥。]
http://www.asyura2.com/0601/nihon20/msg/470.html
投稿者 white 日時 2006 年 8 月 11 日 22:14:05: QYBiAyr6jr5Ac
□引用元のコメント全文
http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-118.html#comment351
> 報道では「4月9日の失踪直後に目撃者の周囲では鈴香への疑惑が広まっていた」とされている。であればあれほど鈴香の悪口を喋りまくる住民から早々にマスコミに伝わらないのは奇妙である。
確かにそうですね。
実はこの橋の上の目撃情報には豪憲君の父の米山さんの手記にも触れた部分があります。
『週刊新潮7月27日号 「豪憲は秋田県警に殺された」特別手記 米山勝弘』
以下にざっとその内容を書きます。
彩香ちゃんが遺体で発見された4月10日に藤里小で臨時のPTA集会があり、子供たちへの対応が話し合われました。その帰り際に4年生の児童の父兄数人が玄関で立ち話になったそうです。(豪憲君の兄が4年生なので米山さんも4年生の父兄でもあるわけです)その時、その中の父親の一人で今回の目撃者の夫である人が「橋の上に母親と娘のような二人がいたらしいんですけど・・・・」と言いかけたそうです。しかし、別の父兄に「まだよくわからないことを口にしないほうがいいのでは」と言われ、それきりになったとありました。
米山さんは以前にも同じ週刊誌に手記を2回載せておられますが、この話を書くのはたぶんこの回が初めてだったようです。(私は最初の1回を読んでいないので正確にはわかりませんが)
『・・・確かに、その時点で不明確な話はするべきではないと私も思いましたし、私たちは真相を究明するような立場にはなく、その話を突き詰めて調べるのは不可能。それは警察の仕事です。』(この部分本文からの抜粋)
たしかに、もっともだとは思います。しかし、警察が「大沢橋」という話を出してくるまで、この件については米山さんも含めた地元住民の誰からもマスコミには話されていなかったとしたら、それはそれでかなり奇妙な感じはします。彩香さんの事件の直後から鈴香さんが疑われていたという話の根拠がこれだったという説もありますが、もしそうだったら尚更、もっと早い時期にどこからかマスコミの耳に入って世間にも出て来ていたのではないかと考えられるからです。(他にもかなり根拠の薄いことも報道されているようなので、この程度のことでマスコミが慎重になったとは思えません)
少なくとも目撃者にはその母子らしき人物たちが鈴香さんと彩香さんであったと言い切れるほどには自信がなかったのではないだろうか?ただ単にその日の夕方に橋の上で母子かと思える人影を見たという程度のものだったのではないか?だとしたら、その目撃者がその後もしばらくはそのことを黙っていたというのも頷けないことではないのですが。
目撃者のことを無闇と疑うのは私はあまり好みません。悪意はなくとも鈴香さんを犯人に仕立てようとするこの強い流れの中では、何かを見たという人がいれば、その人にとっても自分の見た以上のものを証言させられることくらいはありそうな気がしますから。posted by 田作り | 2006/08/12 | URL
http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-119.html#comment366
>senntaruさん
senntaruさんのコメントを見てあわてて古新聞を探してみました。朝日は取っているのですが、最近はネット上のニュースばかり見て紙はあまり読まなくなってしまいました。やめてしまってもいいくらいなのですが、妻がスーパーのチラシが欲しいというのと、販売店の人と親戚なのでなかなか・・・・
「目撃情報を寄せた女性の家に彩香さんが行方不明になった当日、捜査員が訪れていたが、肝心の「目撃」について聞き出せなかった。女性の夫は「本当に畠山親子だったのかはっきりせず、あの段階で『母親が犯人だ』みたいなことは言えなかった』と振り返る。」
なるほど、そういうことだったのですね。もし、はっきりと言い切れるくらいに見ていたら、車の中では自分の顔は見られていないのでしょうから、その時点で警察には言ったのではないかと思っていました。しかし、公の新聞で夫がそう言っているとなると、この証言は裁判に持ち出したとしても信憑性は落ちるということになりますかね?弁護士が無罪で戦うつもりの人なら突っ込みどころのはずですが、そうでなければ証言としての質は落ちても彼女の犯行を裏付ける補強材料にしかならないのでしょうか?(しかし米山氏の調査では事件の頃、周辺で警察が聞き込みに来た家はほとんどないということですから、その中でわざわざ聞き込みに行っているということは、やはり鈍青さんが前回に書かれたように、この女性の家が初めに彩香さんが遊びに行ったのではないかと言われていた友達の家なのでしょうか?)
私自身は大沢橋から突き落としたという説自体にはどうも無理なものを感じています。他にもそう言っている方も多いようですが、いくら子供が駄々をこねたからといって、もう日も暮れていというのに3キロも離れた橋の上まで連れて行って魚を見せようとする母親などいるだろうか?そろそろ夕飯時だろうし、すき焼きの材料も買ってある。「今日はすき焼きだよ。ご飯にするからお魚は明日見ようね」とでも言うのではないだろうか?(そのすき焼きについて言えば、彩香さんを家から追い出して男と食べようとしたという話として出て来たようですが、その男が何者であるのか、今もってなんの情報も出てこないし、そもそもそんなに酷い母親なら子供の「駄々こね」にいちいち付き合ってやろうとするはずもないでしょう。)
もしも、騙したり無理に連れて行ったりして落としたのなら、これは初めから計画的に殺したということになりますから、時間が遅くて暗いのはむしろ好都合なわけですが、それならそれでヘッドライトに照らされて顔を見られたかもしれないその直後に、子供を突き落としたとはやはり考えにくい。人口の少ない田舎なら相手が顔を知っている地元の人間である可能性は高いわけで、実際にそうだったわけなのですから。
物理的にも140センチ35キロの子供を115センチの欄干の上に持ち上げてから落としたというのは女性の力では無理があるし、闇の中を落とした場所がちょうどブロックの堤と堤の間の深い水深があるところだったというのも偶然だったのでしょうか?(確実に殺すつもりならむしろブロックの上に落としたかったでしょうが、やはり衝動的ということなのか?)それと、2メートルの水深に8メートルの高さから落ちると、ああいう骨折が出来るのだろうか?監察医でもない人間にはわかりようもありませんが、私はどうも橋の上から落としたというのは事実と違うような気がします。
(鈴香さんが逮捕されて間もない頃ですが、ある番組で元観察医務院の上野という医師も、水死ではなく初めから中州に置かれた可能性もあると言っていますね。
http://www.youtube.com/watch?v=mPF5HO0uwvo&mode=related&search=
この時点では骨折の話などは一切出ていなかったのですが、現場で見た救急隊員の証言を基にした発言のようではあるし、怪我のことを知らなかったことを差し引いても、今もまったく意味がなくなった話とは思えない。)
しかし、だとしたらあの目撃情報とは何だったのだろう?前回のコメント欄でも書かせてもらったように私の好みとしてはあまり目撃者を疑いたくはないので「前日の暮れ方に橋の上で大人の女性と子供らしき人影を見た」ということは最低限の事実だとして考えてみますと、その二人とは一体誰だったのか?
米代川水系はサクラマスでは有名で、あの橋付近もマス釣りの名所だそうですが、だとしたら橋の上から魚影を探す人というのも珍しくはないのかもしれません。↓のサイトによれば、「サクラ咲く季節サクラマスは秋の産卵に向けて川を遡上する。」そうです。(写真もありますが、思ったより大きな魚でした。趣味のサイトに事件のことでリンクしても申し訳ないので、Googleのキャッシュです)
だからもし、あの頃にサクラマスを見ようとしたのなら、その遡上でしょう。しかしあの時間では真っ暗で何も見えるはずがない。
しかし、振り返れば目撃情報があったという報道は、その時間帯についてはなぜか次々に変わったようです。私が大手メディアのサイトで最初に見たのはたしか7時だったと思うが、その後6時になり今は6時45分の少し前ということでいいのでしょうか?他の人が掲示板に書いていたのを見たら5時というのもあったらしい。あの日の秋田の日没は6時11分だったそうですが、もしそれより少し前だったら、まだ川面は十分見えていて覗き込む人もいたかもしれない。
もっともそれなら顔だってわかりそうなものだが、その時点ではまだ事件など何も起こっていないのですから、なんということもなくすれ違ったに違いなく、川の方を覗き込んでいる人がもしフードなどを被っていたら、知人であるかどうか、よくわからなかったということもあるかもしれません。posted by 田作り | 2006/08/13 | URL