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「逆風満帆」
元毎日新聞記者 西山太吉(1)
■沖縄返還の真実問う
パソコンは使えない。ワープロもない。筆圧の強いくせ字をノートに書きつける。かつて、ざら紙に原稿を書いていたときのように。
元毎日新聞記者の西山太吉(74)は7月初め、裁判所に提出する意見陳述書の草稿づくりに取りかかった。
「これが私にとってのジャーナリズムっちゃ」
沖縄返還をめぐる密約を否定し続けてきた国を相手取り、昨年春、謝罪と損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。裁判はいま、終盤を迎えつつある。
陳述書は、国家によって着せられた汚名を自らの手でそそぐ最後の機会になるかもしれない。
北九州市にある自宅には、機密指定が解かれた米公文書など史料があふれている。
たとえば、米国務省が専門家に交渉プロセスをまとめさせた「沖縄返還――省庁間調整のケース・スタディー」。116ページに及ぶ英文のなかで、西山はひとつの言葉に目をとめた。
〈lump sum(一括払い)〉
個別の経費を積み上げるのではなく、まとめていくらとすることを意味していた。
「つかみ金だから、密約をもぐり込ませられたんだ」
この春、在日米軍再編をめぐって突然、日本側の負担が「3兆円」とされたことと二重写しになった。
文書からは、69年秋に佐藤・ニクソン共同声明で沖縄返還を宣言する前に、大蔵省と米財務省が日本の支払額について裏で合意していたことが読み取れた。福田赳夫蔵相が漏らした日本政府の本音も記されていた。
〈「沖縄を買い取った」との印象を与えたくない〉
そこに密約が生まれた。
思いやり予算の原型となる施設移転費(6500万ドル)など五つの財政合意がひそかに交わされていた。
かつて西山が問いかけた、土地の原状回復補償費400万ドルを日本が肩代わりするという密約は、氷山の一角にすぎなかった。
いまだに解けない基地問題の原点となる沖縄返還協定。そのからくりが浮かび上がってきた。
「面白いやろっ。俺(おれ)はいまだにブンヤなんよ」
■「情を通じて」で一転
昨年暮れ、北海道新聞の記者から電話を受けた。
「じつは、吉野さんが認めたんですよ。『400万ドルは日本側が払った』と」
吉野文六・元外務省アメリカ局長。交渉にあたった当時の最高責任者は一貫して密約を否定してきた。
ニュースですよね、と記者から問われ、胸のうちで吐き捨てた。「これがニュースでなければ、いったいどんなニュースがあるのか」。それでも、人生を狂わせた男の突然の告白を簡単に信じることはできなかった。
72年3月、衆院予算委員会。社会党(当時)の横路孝弘議員は外務省の秘密電信文を手に政府を追及した。
そこには、密約を示唆する言葉が書かれていた。
〈APPEARANCE(見せかけ)〉
電信文を入手したのは西山だった。疑惑を指摘する記事を書いたが、政府は取り合わない。返還が約1カ月半後に迫るなか、横路に託した。
「国民に真実を知らせる最後の手段だ、と。記者としてギリギリの決断だった」
しかし、国会で答弁に立った吉野は否定した。
「協定以外には、何ら密約もなければ約束もない」
まもなく電信文の漏出元が判明し、西山は外務省の女性事務官とともに国家公務員法違反の疑いで逮捕された。
佐藤栄作首相は日記にこうつづっている。
〈この節の綱紀弛緩(し・かん)はゆるせぬ。引きしめるのが我等(われ・ら)の仕事か〉
11日後、検察が起訴状で使った言葉が流れを変えた。
「情を通じて」
妻子ある新聞記者と夫のいる事務官。ともに40歳をすぎた大人の関係だった。国民の「知る権利」への弾圧だとする報道は、男女スキャンダル一色に染まった。
密約を暴いたはずの西山は一転、批判の矢面に立つ。闇に閉ざされた日々の始まりだった。=敬称略
〈にしやま・たきち〉 1931年、山口県生まれ。56年、慶大大学院卒業後、毎日新聞社入社。外務省の女性事務官から入手した秘密電信文が発端になった沖縄密約事件により74年に退職。その後、北九州市の青果会社に勤め、91年に定年退職した。
(諸永裕司)
http://www.be.asahi.com/20060715/W14/20060705TTOH0004A.html