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□鈴香と彩香と千鶴子と利加香―秋田小1殺害事件 [どん底あるいは青い鳥。]
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2006/06/16 鈴香と彩香と千鶴子と利加香―秋田小1殺害事件
世間がそうだと信じ込んでいることを自分自身はまるで信じることができないというのはずいぶんシュールな状態なんだなと、秋田小1殺害の報道を見ていて思う。
テレビは口を揃えて「彼女が犯人」「彼女が殺した」と断定するが、そんなに断定してしまっていいのだろうか。むしろ刑が確定するまでは犯人扱いはできないのだと、マスメディアが率先して表明すべきなのではないだろうか。
「腰紐」と「軍手」。これらについてはその出所と使用目的について容疑者自身の供述や報道が二転三転しており、決定的な説明が得られていない。容疑者がそれらのブツを自宅でふだんから使用していたのかどうかからして疑わしい。
もしかして警察が捏造したのではないのか、捏造とはいえないまでも、家宅捜索の折りに本人も忘れているような場所から見つけたものを無理やり凶器にしようとしているのではないか…といった疑問を抱く。狭山事件に野田事件と、警察はわりと普通に証拠の捏造をするからだ。
被害者の首に繊維が残っていたために、凶器を電気コードなどではなく布製の紐としたのだろうか。網目の後が残るとか、二重に巻ける長さといえば、むしろ犬の散歩用リードなどを思い浮かべる(遺体についていた毛はウサギではなく犬ではないのか?)。
だがこれぞ凶器と想定した腰紐には絞殺の痕跡がない。紐の中央部分には被害者の、両端には加害者の皮膚片くらいは残っているべきではないか。加害者の痕跡さえないとなれば、その紐が凶器だったとはいえないだろう(この腰紐にも当然ウサギの毛はついていたんだろうね?)。
そこで軍手を持ち出して、ゆえに加害者の痕跡は残らなかったということにした。すると今度はその軍手によって「発作的な殺害」という筋書きに差し障りが生じてしまった。「作り話」とはそうしたものだ。
ここで警察が描く筋書きとマスコミが望む方向性が大きく乖離するかと思いきや、警察はこのまま「豪憲くん殺害は衝動的、彩香ちゃんは事故死」で無理やり収めるつもりらしく、マスコミも特に異存はないらしい。何もかもが本当に簡単である。
容疑者の病名は「演技性人格障害」から「反社会性人格障害」に格上げ?されたようだ。ネグレクトだの鬼母だのといった報道も相変わらずだが、彩香ちゃんはいわゆる「凍りついた瞳」はしていない。今回マスコミが被虐待児に詳しい識者には一切話を聞かないことからしても、彩香ちゃんはまず虐待などはされていない。
「娘殺し」と「人格障害」といえば平塚5遺体事件http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/hiratsuka_case/の岡本千鶴子被告を思い出す。岡本被告の場合、その人格障害と娘の殺害はごく自然に結びつく。娘を溺愛し、娘に依存し、挙句の果てに殺してしまう。被告と娘は繋がっているから、被告は自分を殺すように娘も殺す。その心情は理解可能とは言えないが、報道の中身は一つのフレームにきれいに収まっている。
畠山容疑者の場合には「朗らかな娘」と「ネグレクト」、「いい親子だったという証言」と「とんでもない鬼母だという証言」などなど、正反対のものがフレームの中で衝突し、とてもじゃないが一枚のきれいな絵にはならない。これはどちらかが嘘だからで、容疑者はいい人物だという嘘をつく動機などはないから、嘘は悪い噂のほうである。
もちろん、まったくの嘘ではないのかもしれない。男の出入りもあっただろうし、彩香ちゃんの遺族として注目を浴び、舞い上がってヒロインのごとく振舞った面もあるだろう。自分の悲劇性を他人に見せたがる傾向もあるいはあるのかもしれないが、それらは決して子どもの殺害と結びつくような「悪」ではない。
(ミュンヒハウゼン症候群http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4だと言う人がいるが、容疑者が代理ミ症候群の場合、彩香ちゃんは死ぬ前に何度も病院に担ぎ込まれていなければならない。仮に彩香ちゃんの死亡で味をシメたとしても、他人の家の子を殺すことはミ症候群的には意味がない)
鈴香と彩香の親子関係には、千鶴子と利加香のような「どうしようもなさ」は存在しない。鈴香は彩香に依存しない。彩香も外で元気に遊べる子どもである。鈴香は彩香に全人生を捧げたりはしないし、携帯に読書に男にと確かに自分自身を持っている(そのことを許せない人もいるのだろうが)。
鈴香と彩香の最後のシーンは非常に印象的である。鈴香が煙草を買いに出ると、外で遊んでいた彩香に出会う。「いっしょにゆくか」と鈴香が問うと、彩香は「何か買ってくれる?」と尋ねて鈴香は頷く。それならと彩香は鈴香の周囲を飛び跳ねながらついてゆく。
おそらくこれが、この親子の関係のすべてだと思う。彩香は鈴香の買い物に付き合ってもいいし付き合わなくてもいい。鈴香には彩香のために何かを買ってやろうという気持ちがある。鈴香の中には彩香のために設けた場所が確かにあるが、その場所に彩香を閉じ込めようとは思わない。この不思議に自由な関係は、千鶴子と利加香にはどう転んでも不可能なものだ。
そこに「殺人に至る病的な何か」を認めることは難しい。密室で過ごす母子などよりは遥かに健康的だ。上の印象は事件の比較的初期の段階で抱いたものだが、その後この印象が覆されるほどの鈴香情報には巡り合っていない。
近所の住民の証言なども「彩香ちゃんはいつも一人で遊んでいた」かと思いきや、事実は「一人で遊んでいたこともあった」である。「男を次々と取り替えていた」というので何人見たかといえば「四人」。「男がきたら彩香ちゃんを外に出していた……………と聞いたことがある」。この事件の「悪い噂」は万事この調子なのである。
元同級生や元同僚の「容疑者はこんなに悪人!」という談話も多い。「よく知る人の証言」というだけで「事実として」扱い、実際に事実かどうかを独自に調べる姿勢はマスコミにはない。容疑者を謗ってくれれば、たとえ伝聞でも事実でなくてもいいのである。
恵庭OL殺人事件の被告も、放火や窃盗をしたと新潮45に書かれて訴訟を起こした(参照)http://www4.ocn.ne.jp/~sien/p1-sin45teiso2._yamaguchi.html。新潮側の言い分は「被告が放火や窃盗を行なったのではとする証言を載せたあとに『誰が火をつけ、誰が盗んだのか、それは今でも謎のままだ』と書いているから責任はないんだ」というものである。
松本サリン事件の大誤報しかり(「事実を伝えよ。誤報は正せ」参照)、http://www.jcj.gr.jp/~hokkaido/note02/0608kouno.htmマスコミの無責任な姿勢は畠山容疑者に関する報道においても変わっていない。一方で「容疑者の供述は取調官の作文である」といった基礎的な認識さえ持っていない(報じない)のも不思議である。
とまあ、そこまで反社会的でウルトラ凶悪であるはずの容疑者の過去には、なぜか警察沙汰がない。反社会性ゆえに殺人に走るような人間は、大それた事件の前にたいてい何がしかの暴力事件を起こしているものだ。だがどんなに「悪い、悪い」とマスコミが煽ろうとも「決定的に証明された凶悪さ」は容疑者の過去にも今にもないのである。
凍りついた瞳(め)―子ども虐待ドキュメンタリー
ささや ななえ (集英社)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087850226/bluebird05-22/503-0219650-5871141