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特報
秋田小1殺害事件 メディアスクラム検証
秋田県藤里町の米山豪憲君(7つ)殺害、遺棄事件は、死体遺棄容疑で逮捕された畠山鈴香容疑者(33)に、逮捕前から取材が集中した。多くの報道陣が同容疑者の実家を囲み、報道が過熱。同容疑者は苦情を訴え、報道陣に詰め寄るなど、取材の在り方に課題を残した。メディアスクラム(集団的過熱取材)を検証した。 (浅井正智、坂本充孝)
「そんなに人の子が死んだのが面白いのか。ふざけるな。帰れ。マスコミなら何をしても許されるのか」
畠山容疑者は逮捕前の先月二十日夕、秋田県能代市の実家前に集まっていた報道陣に怒りを爆発させた。
記者たちは実家の正面に陣取った。カメラは玄関や窓に向けられ、カーテンが開くたびにテレビカメラのライトが照らされ、フラッシュが一斉にたかれた。常に監視されているイライラが沸点に達したのが、この怒声だった。
実家前に報道陣が集まり始めたのは豪憲君の遺体が発見された先月十八日のこと。豪憲君が失跡した当日の十七日夜から十八日未明にかけ、畠山容疑者は秋田県警に事情を聴かれた。十八日からは警察車両が張り付いた。こうした動きがきっかけだったようだ。
二、三十人だった張り付きも五十人ほどに。中には二十四時間「ベタ張り」していた社もあった。警察車両が「被害者対策の一環」を名目に二十四時間待機した。しかし畠山容疑者の行動監視が目的だったようで、報道陣を過敏にした。
二十四日、報道陣は百人を超え、過熱取材はピークに達した。現場を検証した地元紙・河北新報の記者はこう振り返る。
「畠山容疑者が買い物に出掛けるという情報が流れたため、報道陣は一時、百人以上に膨れ上がった。報道陣の車が県道などに止められ、数えただけで九十二台あった」
昼すぎ母親の運転する車で容疑者が実際に外出した。「十台以上のマスコミ車両が後を追い回した。その際、一部は信号無視もしたという」(同記者)からパパラッチ顔負けだった。
■児童への取材で保護者装う例も
今回、過熱ぶりが目立ったのは週刊誌だ。匿名報道もあったが、逮捕前から同容疑者に関する私的な情報が報道された。実家前にいた週刊文春記者は「中身は裏付けをとったことしか書かない。他誌と一緒にされては困る」と話す。
その上で過熱取材になった理由を「この事件に対する世間の関心は非常に高い。いろいろな噂(うわさ)がある中で何が真実かを確認するには、本人に取材せざるを得ない。やむを得ないのではないか」という。
平穏な生活を乱す取材攻勢は、豪憲君が住んでいた団地や藤里小学校などでも同様だった。
団地では容疑者逮捕後も二十八棟のうち、半分以上の家に「取材お断り」の張り紙がしてある。豪憲君が最後に目撃された公園では今も、子供の遊ぶ姿は見られない。「マスコミがいるので遊びたくても遊べない」と近くの主婦は言う。
藤里町教委によると、藤里小の児童宅に電話をかけ、「子供を電話口に出してほしい」と要求したり、集団登下校時に保護者のふりをして学校の敷地内に立ち入るという明らかにモラルに反する例もあったという。このため町教委は二度にわたり、取材自粛を報道各社に求めた。
オウム真理教(当時)による松本サリン事件で、加害者と疑われ、過熱報道の矢面に立たされた河野義行氏は、こう話す。
「報道を見る限りでは(松本サリン事件)当時とよく似ている。逮捕されていない人が、逮捕されたかのような扱いで、推定無罪という考え方がどこかへ飛んでいってしまっている」
さらに「なぜ、疑わしい人物の家の前に張り付くのか。ただ逮捕の瞬間の写真を撮りたいというだけだろう。それは報道として価値があるのだろうか」と疑問視、続けて「なぜ警察を批判しないのか。疑わしい人物が特定されたのは、警察が守秘義務違反を犯し、捜査情報を漏らしたからではないか」と指摘する。
■捜査の検証などすべきことある
上智大学の田島泰彦教授(メディア法)も「捜査をチェックしたり、事件の背後に潜む社会的な病理を探ったり、ほかにやるべきことがあったのではないか」と同意見だ。
メディア側も今回、自主規制を実施した。地元メディア十五社で構成する秋田報道懇話会では十九日と二十三日、「節度ある取材」を各社に申し入れた。それでも沈静化せず、二十四日にあの大混乱が発生した。事態を重くみた同懇話会は二十五日、(1)プライベート撮影と路上駐車の自粛(2)門前での張り込みはやめる(3)取材者の人数を制限する−など申し合わせを行い、日本新聞協会と日本民間放送連盟、日本雑誌協会(雑協)にも協力を要請した。
畠山彩香ちゃん(9つ)の四十九日法要が営まれた二十七日、畠山容疑者は報道陣を自宅に招き入れた際、「カーテンを開けることができるようになり気持ちが楽になった」とも話した。申し合わせは一定の効果をもたらしたといえる。
課題も残した。雑協は懇話会の要請に対し、「人数を制限するのは現実的ではない。テレビや新聞とは取材のやり方が違う。ただ雑誌編集倫理綱領に基づき節度ある取材をするよう各社と確認している」と独自路線を主張した。
河野氏は自主規制を評価する一方で「雑誌やフリーの記者は規制の外だった。取り囲まれた方にしてみれば、相手がどんな立場の人かはわからず、恐ろしいという意味で同じだ」と指摘する。
メディア批評誌「創」の篠田博之編集長は「過剰取材という意味では和歌山カレー事件とよく似ていたが、比較的早い段階で自主規制に踏み切っており、少しずつ改善されているという印象を持った。規制に雑誌が参加しなかったのは、おそらく自宅前の張り付きをしているのは主にテレビ・新聞だという気持ちがあったからだろう。ただし雑誌が早くから事実上の実名による犯人視報道をしたのは異常な事態だった」と分析する。
過熱取材の別の落とし穴もあった。田島氏は「今回は警察も公然と疑わしい人物の家の前に張り付き、『被害者をマスコミから守るためだ』と強弁した。メディアが警察に利用されてしまったわけでいただけない」と反省を促した。
■「調整役」が必要弁護士と連携も
さらに自主規制のタイミングについても「もう少し早く」という声もある。同懇話会幹事の森賢・時事通信秋田支局長は「対応が後手後手になったといわれるかもしれない」と認めつつも、「だが事前に規制を設けるのは、報道の自由を自ら縛ることになる。目に余る状況があるかどうかを見極めた上で対応を決めざるを得ない」と難しさを吐露する。
こうした課題解決に篠田氏はこう提案する。「取材者と被取材者の間を取り持つコーディネーター役が必要だ。最近は警察が被害者対策室などをつくることもあるが、警察は情報を操作することもあるので望ましくない。放送倫理・番組向上機構(BPO)も現状ではそこまでできない。純粋に第三者的な機関がベストだが現時点では弁護士かなと思う。メディアと弁護士会の連携が必要かもしれない」
<デスクメモ> 幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚の被害者家族を取材したことがある。ある家族宅では、心情を思い呼び鈴を押せず、立ちつくした。別の家族宅では「心を鬼にして」声をかけた。自分の行為が人を傷つけ、自己嫌悪した。それでも取材は必要だ。報道の意義と報道被害対策をどう両立するのか。自問は続く。(鈴)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060608/mng_____tokuho__000.shtml