★阿修羅♪ > 日本の事件19 > 469.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
□高島屋御曹司のビンボー末路…株大失敗、恐喝で逮捕 [夕刊フジ]
http://news.www.infoseek.co.jp/fuji/story.html?q=08fuji320060508030&cat=7
高島屋御曹司のビンボー末路…株大失敗、恐喝で逮捕 (夕刊フジ)
老舗百貨店、高島屋の創業者の子孫で一時は社長候補にも上がった元顧問。そんなエリートが政治結社と手を組み、債権の取り立てで恐喝したとして警視庁に逮捕された。毛並みのよさとは裏腹に、株式投資で大失敗。現在は郊外にある民家の2階を間借りして愛車は軽乗用車と、出世レースに敗れた御曹司の末路はあまりにビンボーだった。
恐喝容疑で逮捕されたのは、高島屋顧問(解嘱)の男(53)。
調べによると、男は都内に住む不動産業の男性(60)に商品先物取引の運用資金として1000万円を預けていた。しかし、男性が運用に失敗したため、大阪府内の政治結社代表(60)らに債権取り立てを依頼し、昨年12月に都内の喫茶店で「明日までに500万円を作れ。駄目でも300万だ。わしらをなめるな。若いモンを仕向けるぞ!」と脅し、なけなしの100万円を奪った疑い。
男は天保2年(1831年)に京都・烏丸松原で木綿商を始めた創業者、飯田新七の末裔(まつえい)。兵庫県出身で父親は27年間も高島屋で社長を務め、飯田家直系の子孫として、その毛並みのよさはずば抜けていた。
昭和52年に青山学院大法学部卒業後、高島屋に入社。1年ほど日本橋店で紳士服売り場を担当した後、いきなりニューヨーク駐在員となり、62年、34歳の若さで取締役として大阪・堺店店長に就任するなど、社長候補として“帝王学”を身に付けていった。平成4年には常務に就任し、一時期は皇室との取引を担当していたほどだった。
一方で、8年に高島屋が総会屋対策として多額の現金を暴力団幹部に渡した事件が発覚。事件へ直接のかかわりがない男を次期社長に推す声が強かったが、「事件の発端が『飯田商店』の体質という指摘もあった」(関係者)こともあり、飯田容疑者は出世レースから脱落。15年に常務を外れてからは顧問として日本橋店の中にある画廊で勤務していた。
「『顧問』といえども毎日、出勤していた。誠実に仕事をする方で、それなりの報酬も出ていたはずですが…。逮捕翌日の26日、無断欠勤したので心配していたぐらいで、そんなことをしていたとは気付かなかった」(高島屋関係者)
男とブラックな面々との関係は、取締役時代の平成元年ごろにさかのぼる。「当時、株取引に失敗し巨額の損失を出した際、損失補填(ほてん)に『金融機関へ顔が利く』という評判を聞きつけ、男が自ら政治結社代表へアプローチした」(捜査関係者)。高島屋は総会屋事件で裏社会とのつながりを散々、批判されたが男自身は水面下で関係を続けていた。
そんな男の自宅は御曹司らしからぬ借家。京急逗子線新逗子駅から徒歩3分ほどの民家の2階を間借りし、1人で暮らしていた。
「16年9月に渋谷の方から引っ越してきた。朝早く外出し、夜遅くなって戻ってくる。食事はいつも外でしているようだった。愛車は駅前の駐車場に止めてある軽自動車で、年に3−4回は米国に住む妻と子供4人に会いに行くため、1−2週間、家を空けることもあった」(近所の住人)
男宅1階に住む大家は「家賃は駐車場代込みで10万円です。毎月、前払いで遅れることはなかった。すごく温厚で礼儀正しく、よく気がつく方でした」と驚き混じりに話す。
創業者子孫のみすぼらしい私生活に恐喝事件−。男は伝統ある高島屋の歴史に、くっきりと汚点を残してしまった。
[ 2006年5月8日16時1分 ]
▽関連記事
高島屋創業者一族「わしらをなめるな」恐喝 [夕刊フジ]
http://www.asyura2.com/0601/nihon19/msg/404.html
投稿者 white 日時 2006 年 4 月 28 日 18:14:54: QYBiAyr6jr5Ac