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□奇才シェフ2度目の転落…自分の人生は料理出来ず [夕刊フジ]
http://news.www.infoseek.co.jp/fuji/story.html?q=28fuji320060428028&cat=7
奇才シェフ2度目の転落…自分の人生は料理出来ず (夕刊フジ)
大麻を所持し、自分の店の中で現行犯逮捕された花形シェフ、山田宏巳容疑者(53)。絶頂期の平成3年に死亡事故を起こして1度は職を失ったが、盟友シェフたちの支えでどん底からはい上がってきた。そんな男の背信に、友人らは「裏切られた思い」と憤る。カリスマの波乱人生とは。
「一度食べれば、その料理をさらにおいしく再現できる、記憶力とセンスのある料理人。それだけにお客や彼を慕う後輩への裏切り行為だ。いい加減にしてほしい」
“日本一予約が取れない店”とされる東京・銀座「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」の落合務シェフ(58)は怒りをあらわにする。山田容疑者とは20年来の友で、子供同士が結婚し親戚(しんせき)でもある。
山田容疑者は平成7年開店の「リストランテ・ヒロ」(東京・南青山)をはじめ、名古屋市や兵庫県芦屋市など全国6店舗の総料理長。12年の沖縄サミットではイタリア首相の専属料理人も務めた。メディアへの露出も多く、「芸能人など交友関係はかなり派手」(フードライター)。今月も13日「新どっちの料理ショー」(日テレ)、16日「食彩浪漫」(NHK)と引っ張りだこのスターシェフだった。
過去の本人インタビューによると、東京都台東区の貧しい家庭で育った山田容疑者は、「家でうまいものを食べた記憶がない。共働きの親に代わり、毎日100円で晩飯をつくった」。中学3年で新潟に移って「だいぶグレた」が、高校卒業後は料理の道に進み、さまざまな料理店で学んだ。
結婚して2児をもうけ、25歳で初めて料理長に。イタリア修行後、昭和60年に東京・原宿「バスタ・パスタ」の初代料理長となると、日本初のオープンキッチンや独創的な料理で“イタメシブーム”を巻き起こした。「バブルを象徴する店。遊び人が集まりドンペリが毎晩ポンポン開いた」(フードライター)。
だが、絶頂にあった平成3年秋の深夜、愛車アルファロメオで事故を起こし、「同乗の女性が亡くなった」(関係者)。店をやめて妻とも別れ、姿を消した。後に山田容疑者は「やる店やる店全部当たって、周りから天才だとか持ち上げられて、すっかりいい気になってたんだね。それがずどーんと、堕ちるところまで堕ちた」と語っている。
落合さんら友人に支えられ、4畳半1間のアパートから復活を期す中、転機となったのが、フジテレビの人気番組「料理の鉄人」だった。6年5月に知人らの推薦で出場し、中華の鉄人・陳建一さんから金星を挙げた。番組関係者は「出演に反対するスタッフもいたが、逆に転落の経緯を番組で取り上げ、共感した出資者が集まった」と明かす。
それから12年。心を入れ替え復活したはずの男が、再び過ちを犯した。ある関係者は「料理の研究でスペインにかなり頻繁に行っていた。個人の大麻使用が逮捕されない国なので、興味を持ったかも。味覚の鋭さで勝負する芸術家肌だし」と語る。
落合さんは「料理に限らず新しいものにすぐ飛びつき、バイアグラもいち早く試していた。そういう面が悪いほうに出たのか」と話し、「水商売的な扱いだった料理人の立場がここまで向上したのに台無しだ。まだ中学生の子供をはじめ、彼を頼って生きている人はたくさんいる。考えが足りない」と猛省を促す。
総料理長を失った各店は「山田個人の問題。店は客の要望に応えたい」(広報担当者)と、通常通り営業中。近年の「山田は厨房(ちゅうぼう)にあまり立たない。現場のシェフに任せてある」(同)ほどの多忙が功を奏し、「料理は(逮捕前と)遜色(そんしょく)ない」(同)という。「カリスマシェフ」とは一体…。
[ 2006年4月28日16時11分 ]