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♪君に教えてあげよう宮城県 米は天下のササニシキ 男は菅原文太なら ア〜ア 歌手なら吉川団十郎……。76年、こう歌って、「ああ宮城県」をヒットさせた吉川団十郎さん。ズーズー弁のフォーク歌手として人気者になり、映画「トラック野郎 望郷一番星」に出たりした。しかし、デビュー当時の約束通り、1年間の活動で宮城に戻り、表舞台から姿を消した。今どうしているのか。
JR仙台駅から東北本線の各駅停車で南下すること27分。大河原駅で下車し、さらにクルマで約20分走った宮城県村田町の山間の自宅で団十郎さんと会った。ちなみに、敷地は1000坪!! もっとも、「ひと山ナンボの田舎だから、買ったときは二束三文だった」とか。
「ちょっと宣伝になってしまうけども、聞いてくれっちゃ。オレはもう向こうの世界(芸能界)から完全に身を引いたつもりでいたんだわ。ところが、東北放送のなじみのプロデューサーに口説かれ、去年の10月からディスクジョッキーをやることになってしまった。毎週日曜日、午後1時から5時までの『葵と団十郎のサンデーAMO』って宮城県内では有名なラジオ番組でね。芸能界を離れて30年弱、またお声がかかるなんて、ホント、ビックリしたな、ハハハ」
団十郎さん、こういって破顔一笑した。
「番組のターゲットが団塊の世代、ってことで白羽の矢が立ったらしい。狙いはズバリ的中! 放送中には電話やファクス、メールがすごいの何の」
さて、団十郎さんは74年、「キューピーちゃん」でヤマハ・ポプコンに入賞したのがキッカケで、76年、「ああ宮城県」をリリースしてヒット。1年限定で芸能活動を行い、その1年が過ぎると宮城にUターンした。
「まだ仕事はナンボでもあったし、経済的に恵まれてた。でも、若かったせいか、カネには無頓着だった」
故郷に戻ってからはスナック、お茶の販売、陶芸家、レストランといろいろ手を出した。
「陶芸は25年間、一生懸命やっても、並のレベルを抜け出なかった、ハハハ。その陶芸も含め、名取市長選に出たり、巨木を蘇生させる運動に携わったり、アレコレとチャレンジできたのは、好奇心と情熱があったからこそ。けど、還暦を迎えるトシになって、自分には音楽が一番向いてるってことがやっとわかってきたよ」
最近はヒマな時間は曲作りに没頭し、その際、テーマはつねに中国の貴州省だという。
「7年くらい前、中国南部、貴州省の少数民族が甲状腺障害に苦しんでるというニュースを耳にして向こうに行き、ボランティアで経済的な支援を続けてたわけ。そうしてるうちに貴州省の自然の美しさに魅せられ、それを歌にしようと思いついた。貴州省の観光親善大使の名を授かってるオレとしては、これくらいはやらなくっちゃ」
家族は夫人とすでに社会人の息子がふたりいる。