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http://www.yukan-fuji.com/archives/2006/10/post_7447.html
■レスラー今昔物語
今年7月18日、東京都港区の八芳園で、ザ・デストロイヤーの『来日43周年と76歳の誕生日を祝う会』が開催された。「43」と「76」の数字に区切りの意味はない。関係者の間で、「御大が元気なうちに…」との暗黙の了解があったという。
力道山、最後のライバルだった覆面の魔王。その口癖は、「日本が好きだから。日本人が好きだから」。この日も話していたが、その言葉は決してお世辞ではない。
足掛け16年間、麻布十番の住人だったこともあり、米国に戻った今も港区の日米親善子供レスリング大会と、麻布十番の納涼夏祭りには必ず顔を見せる。
ニューヨーク州アクロンに住み、時折、地元の高校で水泳コーチなどしながら、米国人の妻と悠々自適に暮らす。
冒頭のパーティーには、高円寺在住のビル・ロビンソン、坂口征二新日プロ元社長、『噂のチャンネル』(日本テレビ系)で共演したせんだみつおのほか、A猪木氏までがニューヨークの自宅から駆けつけた。
壇上でデストロイヤー夫妻がグラスを握ったあと、乾杯の音頭をとった徳光和夫氏(65)のスピーチが止まらないハプニングがあった。
「7000万人が見た力道山戦の実況中継」を挟んで、思い出話が延々と続いたのだ。
『噂のチャンネル』で、徳光氏はデストロイヤーの必殺技「4の字固め」に悶絶しながらマイクを離さず、「(明日は)子供の授業参観なのに…」と絶叫。その回の視聴率は32%を記録し、参観日当日は「終日がデストロイヤーの話題だけでした」と振り返った。
当時、子どもだった筆者。プロレス技の初体験は4の字固めとコブラツイストの痛みだった。「デストロイヤーのおかげで今の自分がある」と話す徳光氏が身を持って伝えた「プロレスはインチキではない」というメッセージはセンセーショナルだった。
そして今も魔王には、低迷する日本マット界に貢献したいという夢がある。パーティーでも、「武道館などで、デストロイヤー興行を行えば、団体の垣根なくトップが集結してくれる」との構想を語っていた。
実現するかは別として、それが素顔の親日家の願いでもある。
(格闘技ジャーナリスト、タダシ☆タナカ)(2006.10.17紙面掲載)
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【メモ】
本名=リチャード・ベイヤー。31年7月11日、ニューヨーク州生まれ。水泳、レスリングなどスポーツ万能で、シラキュース大ではアメフト選手として活躍。体育学の大学院修了後、アメフトのコーチを務める一方、62年にアルバイトで覆面レスラーとしてデビュー。63年初来日、力道山との死闘は64%の視聴率を記録した。