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□作曲家市川昭介さん死去、73歳肝不全 [日刊スポーツ]
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/obituary_2/story/27nikkanspettp00609270013/
作曲家市川昭介さん死去、73歳肝不全 (日刊スポーツ)
「アンコ椿は恋の花」などのヒット曲で知られる作曲家の市川昭介さん(いちかわ・しょうすけ)が26日午前5時、肝不全のため東京都渋谷区の病院で死去した。73歳だった。市川さんは、歌手都はるみ(58)を育てたことでも知られる。福島県出身。通夜、葬儀は親族だけで行う。
市川さんは病室でもはるみのために作曲していた。はるみの所属事務所、中村一好代表(59)によると、亡くなる約10日前に中村代表が持ち込んだ2コーラスの詞に、小さなキーボードで曲をつけ、はるみを病室に呼び歌わせていた。
その時、市川さんは「(鍵盤が)小さくてやりにくい。もっと、もっと曲を書きたい」と話し、最後まで創作意欲を失っていなかった。家族らにみとられた市川さんだったが、はるみは悲報を受けすぐに駆け付け、約4時間、遺体に付き添い2人だけの時間を過ごした。コメントできないほど落ち込んでおり、代わって中村代表は「曲の残りを完成させてCD発売するかもしれない」と、胸中を代弁した。
市川さんは02年秋に体調を崩し入院。胃がんで「余命3カ月」と医師に宣告されたが東洋医学を取り入れ、一時は克服。しかし今夏、腹水がたまり、今月に入り再入院していた。
市川さんの闘病を支えたのは、はるみの存在だった。師弟コンビで「アンコ−」のほか「涙の連絡船」「好きになった人」「大阪しぐれ」など、ヒットを連発。固いきずなで結ばれていた。
64年、関西から上京し、弟子入り志願したはるみを、市川さんはお好み焼き店に招き、緊張をほぐそうとした。駆け出し時代のはるみを「ネコ」と呼ぶなど、気さくな人柄で歌手からも親しまれていた。
はるみが一時、引退した時には、発表の前に相談を受けた。周囲に反対する声が強い中、敢然と弟子の決意を支持。当時、市川さんは「怠けて歌い続けてきていたならともかく、一生懸命に歌い続けてきた彼女なので、あえて引き留めなかった」と話した。
引退前の最後の舞台、84年大みそかの紅白歌合戦の数日前には、1時間以上、歌唱レッスンに付き合い、激励。当時は公演先で感涙することが多かったはるみを「お前は歌手なんだから、泣くな。思いっきり歌え」と叱咤(しった)し続けた。
絶妙の師弟コンビのほかにも、市川さんは多数の名曲を生み出した。歌手の個性を生かした曲作りを得意とした。手掛けた曲は3000曲を超す。
[2006年9月27日9時12分]