★阿修羅♪ > ニュース情報3 > 270.html
 ★阿修羅♪
相撲界の指導法を考察する [スポーツナビ]
http://www.asyura2.com/0601/news3/msg/270.html
投稿者 white 日時 2006 年 7 月 22 日 11:49:25: QYBiAyr6jr5Ac
 

□相撲界の指導法を考察する [スポーツナビ]

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/coaching/column/200607/at00009952.html

第11回:相撲界の指導法を考察する(1/2)
〜元「相撲」編集長・下家義久氏に聞く〜
2006年07月20日
大沼博靖
 ベースボール・マガジン社が出版する雑誌『相撲』の編集長を長きにわたり務めたのが、今回紹介する下家義久氏だ。ベースボール・マガジン入社後、大横綱・大鵬の晩年である1969年(昭和44年)の5月場所から、途中に他の編集部への異動はあったものの、相撲雑誌の編集に携わってきた。
 長年にわたり相撲界を見続けてきた下家には、当時の力士と今の力士はどのように映っているのだろうか。また、現在全盛を誇っているモンゴル人力士に対しては、どのような印象を抱いているのだろうか。

ベテラン相撲編集者が見る相撲界の変遷

「見てもらえば分かるように、体重が全然違う。今の関取は、昔の横綱、大関と比較しても大きくなった。小錦、曙らの体で勝つパワー相撲の時代を経てきたという影響も大きいかな。その分、吊りやうっちゃりなどの技がほとんど見られなくなってきた。
 昔の柏戸や大鵬はムチャクチャ大きく見えたけど、今と比べたら平均値。ただ、古い親方に言わせれば、昔は稽古をたくさんやって体を絞ったから、それ以上太る暇もなかったということになるね。
 それに、昔の方が稽古は厳しかった。稽古に関する伝説は昔の方がたくさんある。強さが筋金入りだったんだ。今は自分の体重にさえ負けているところがあるからね。そんな見方をしていくと、今の外国人力士、特にモンゴル人力士には、昔の優れた日本人力士の姿がダブるね。彼らは、昔の日本人の力士が強くなっていった過程を踏んでいるんだ」
 昔と今の決定的な違いは、入門時の身体能力にも表れている。当時は、体の大きさは別として運動神経の良い、非常に優れた選手を「いくらでも太くなれるから」ということで入門させ、ガンガン稽古させて鍛えたんだ。彼らはちゃんこと稽古で、その細い体に技術と肉をつけていった。だから体の充実度が全然違うという。
「最近は、運動神経を放っておいて、体が大きいというだけでいわゆる肥満児を連れて来る例が多い。しかし、あの激しい競技に合わせるためには、やっぱり体を一回絞らなければならないんだ。一回絞って、それからまた肉をつけていく。横綱の朝青龍にしろ、大関の白鵬にしろもともとは、細かったわけ。それが相撲の稽古とちゃんこなど相撲界の生活でどんどん体が大きくなって、強くなっていった。
 モンゴル人がなぜ強いのかというと、日本人の場合、子供たちは家の中での生活が増えて、運動はあまりしない。どちらかというとパソコンやゲーム。一方で、モンゴル人たちは馬や大草原で体を動かして遊んでいるんだから、それだけで基礎体力が全然違う。その上、彼らは母国で何千人という選抜を乗り越えてきている。だから、日本に来た段階で日本人の子供たちと体力的に大きな差がついているんだ。
 それともう一つ、“食べていかなければならない”というハングリーさがある。だからこそ、相撲でどうしても頑張らなければいけないという気力が生まれる。結果として、相撲も日本語も真剣に覚え、細い体にどんどん力と技を身につけていく。それだけ根性が据わっているんだ」

外国人力士が台頭した背景

の外国人幕内力士として高見山(東関親方)が脚光を浴びたときは、ある種の“際物”でしかなかったという。しかし高見山の努力によって下地は作られ、下家風に言えば「高見山が入って、小錦が開いて、曙が横綱として結実した」ことになる。
「彼らハワイ勢の活躍は、体が大きくて運動神経が良ければ勝てるという風潮を生み出し、ハワイからはほかにも力士がやって来た。しかし、彼らの後、活躍が続かなかったのは、勝つためには力だけでなく、精神力が必要だったから。曙や武蔵丸(武蔵丸親方)らは精神的にも卓越していたからね。ハワイも昔に比べて裕福になって、人の気質が“やわ”になっちゃったっていうのもあるかな……。
 その次にやって来たのが、精神的に強いモンゴル勢だ。自分が頑張って親孝行したいという熱い気持ちを持っているからこそ、辛抱する。頑張る。稽古する。ちょっとやそっとのことでは帰れないからね。彼らこそ、昔の相撲取りだよね。ヨーロッパでもハングリーなところから来ている。頑張ればお金が稼げちゃうんだから。昔のお相撲さんは、飯を腹いっぱい食べられるからといって入門してきた」
 相撲で強くなるためには気の強さが必要だという。朝青龍の向う気の強さなどその最たるもの。だからこそ、どんなおとなしい力士でもむきになるのだ。今の日本人力士に足りないのは、そんな気持ちの部分なのだ。下家に言わせると「迫力、気迫が全然違う」という。
「千代の富士(九重親方)だって細かったからね、佐田の山なんかもそうだよ。だから、モンゴル人力士に昔の日本人力士をダブらせる人が多いんだ。優れた運動神経を相撲にぶつけて、伝統的な鍛錬法で体を鍛えて強くなっていくという昔の力士をね。
 モンゴル人力士、特に白鵬などは、ウエイトトレーニングなどはほとんどやらないが、相撲に必要な筋肉を硬くさせるということを師匠からきちんとたたき込まれている。素直に、相撲は相撲の伝統が作り上げてきた鍛錬術で鍛えるという姿勢を貫いている。父親がモンゴル相撲の有名な選手ということもあるんだろうが、バーベルを持ち上げていなければ稽古した気にならない力士とは一線を画しているね。それに加えて、昔のビデオをすり切れるまで見るなどすごく研究熱心な一面を持っている。今の日本人にはそういう力士はあんまりいないから」
 力士が強くなるには、同じ部屋、同じ一門にライバルがいて、激しくぶつかり合いながら切磋琢磨することで強くなる形と、弱い力士が強い力士にあしらわれながらもガンガンぶつかって強くなる形がある。
「本来ならば強い人が“いっちょう揉んでやろうか”という形だけど、相撲の世界ではこれが逆転して、力の差があり過ぎるから、体をほぐす程度にしか役立たないかもしれないが、どうぞ自分を調整台に使ってください、という意味で稽古相手に選んでもらう形がある。
 大部屋の力士は強い先輩と稽古することで強くなるし、そんな先輩がいない力士は、いないなりに負けん気を出して他の部屋へ出稽古に行って頑張っている。モンゴル人力士は、特にその辺の根性が違う。部屋が違っても“モンゴル一門”のライバルは一生懸命追いかけるということで発奮の材料も多い」
<続く>


 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/coaching/column/200607/at00009953.html

第11回:相撲界の指導法を考察する(2/2)
〜元「相撲」編集長・下家義久氏に聞く〜
2006年07月20日

気の強さは欠かせない要素

 相撲界は、外国人力士、学生相撲出身力士、あとは中学を卒業して入門してきた昔からのたたき上げ力士で構成されている。世の中が学歴を求めるようになったため、相撲をやっている運動神経の良い子供たちは進学するようになり、たたき上げの力士は少なくなった。結果として、今や学生相撲出身力士と外国人力士が大半を占めるようになった。
「運動神経の優れた子供はサッカーや野球をやる。彼らの中には、相撲をやっても強かった選手はたくさんいるはずだよ。そんな中で相撲を選んだ子供は、学校や地域のクラブで相撲に取り組むことになるんだ。
 理想は、何にも染まっていない(相撲をやったことがない)子が相撲界に入ってきちんと基礎訓練を積んでいくというもの。例えば、相撲の基本動作を定めた相撲体操などは、基本ということで、負けても勝っても大事に教えられる。しかし、アマチュア相撲では、トーナメント式のため勝つことが優先してしまう。勝つための稽古によって、礼儀作法などがおろそかになってしまう傾向が強い」
 また15〜16歳から20歳にかけての間は、本当は相撲が一番強くなる時期でもある。そのため高校以上に進学すると、将来を嘱望された少年でさえ、大学進学後に伸び悩んで角界入りするも平凡な力士となる。
「久島海(田子ノ浦親方)は中学、高校時代はものすごく強かった。将来は横綱って言われていたんだけど、大学卒業後に相撲界に入り、強かったのは最初の1〜2年でその後は伸び悩んでしまった。高校で相撲界に入ったら、せっかくの素材がつぶされるというので大学に行ったんだけれど。3〜4年は関取以上の好待遇という大学のシステムで緩んでしまったのかなあ。
 その点で輪島は天才だった。もちろん、彼なりに努力はしたんだろうが、あの体で横綱まで上り詰めたんだから、やっぱり天才だね」
 勝負事のここ一番で力を発揮するためには、精神的にタフでなければならない。相撲も同様だ。向こう気の強さは、ともすると誤解を招くこともあるが、強くなるために欠かせない要素だ。
「千代の富士のような気の強さは重要だね。朝青龍はいろいろ言われているけど、千代の富士が上がってきたときの方がもっと気の強さをむき出して不遜(ふそん)だった(笑)。朝青龍の方がずっとおとなしい。ただ、あの気の強さは絶対に格闘技を極めるためには必要なんだ。
 それだけ厳しい競技だと思う。彼らの相撲ぶり、戦いぶりを見ていると、人のいい力士ほど停滞する。突き抜ける気の強さが必要。いい人、いい子はどこかで止まってしまうんだ。関取になる人は、皆、強く、あきれるほど激しい心をを持っている。上に行くほどこの傾向が強くなる。人がいいだけでは三役以上にはなれない。
 常に高い向上心を持っているのが横綱なんだけど、その一方で常に不安と戦っているのも横綱なんだ。例えば隆の里(鳴戸親方)などもそう。強さと向上心による細心さが同居していた。
 隆の里は、彼の師匠の二子山親方(元理事長)について語らせたら天下一品だった。二子山親方と隆の里の話を聞いていると、会話しているんだよ、土俵入りの仕方についてもね。最近、昔に比べて土俵入りが下手になったって言われているけど、やっぱり伝わるものがきちんと伝わっていないから下手になっているのかもしれないね。日々の会話の中で、師匠が弟子に必要なことを考えさせるという姿勢は大切なんだ。最近、力士と師匠との結びつきが薄くなったてきたことも、日本人力士がパッとせず、弱くなったことにもつながっているんじゃないかな」

露鵬問題にも表れた所作の欠落

撲は、柔道や剣道など同様に、礼に始まって礼に終わる競技だが、先日、大関・千代大海と露鵬が、取り組み後に睨み合った場面と、その後の騒動が話題になった。下家に言わせれば、その所作一つとっても、かつてと比べると伝わるものが伝わっていないという。
「確かに相撲は“礼に始まって礼に終わる”と言われているよね。言葉はなんとなくきれいだけど、そのきれいさゆえに、それが何のために言われているかよく分からなくなっているのではないか。その本当の意味は、そもそも相撲というのは、お互いが動物になって死に物狂いで戦うことなんだから、『せめて最初と最後ぐらいはきちんとしようよ』という約束事なんだよと私は言いたい。そう考えた方が実践者には分かりやすいはずだ。
 現在、教わったことをまじめにやっているのは、むしろ外国人力士。「塵浄水(ちりちょうず)」もそう、昔、野原で相撲をとっていたときに、手を清めるために草をちぎってその露で清めて両手を広げて、何も武器を持っていないということを示し、正々堂々と戦おうという意味を示したのがはじまりなんだ。相撲は歴史ある文化でもあるんだから、“適当にやっていいだろう”という精神では、すべてをダメにしてしまう。今のままでも、勝負前後の所作をきちんとすれば、品格を持ちながら勝ちたいという意識が前面に出てくると思う。そのためにも、この『せめて最初と最後ぐらいは』説を心に留めてもらった上で、思う存分、白星を奪い合ってほしいと思う。
 相撲協会では、十両に昇進した力士に場所ごとに再教育を行っている。それが何年か経てば少しは実ってくるのかなと期待しているんだ。昔は言わなくても伝わったんだけど、今は指導しなければいけないから」
 相撲ほど、世相を映し出すものはない。裕福になってしまった日本人は、ハングリーな外国人力士に立ち向かうために、何をエネルギーに力をつけていけばいいのだろうか。もしかすると、品格を備えた強い力士を作るためのプロジェクトを、相撲協会を中心に実行しなければいけない時代がきているのかもしれない。(文中敬称略)
<この項、了>

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ HOME > ニュース情報3掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。