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□誰も想像していなかったセレソンの敗退
http://wc2006.yahoo.co.jp/voice/nation/fujiwara/at00009813.html
藤原清美の列強Voice「ブラジル」
第5回 誰も想像していなかったセレソンの敗退
■選手たちが説明できない敗戦の理由
ブラジルがフランスに敗れた。ブラジルのサポーターもメディアも、そして選手たちも想像もしていなかった、準々決勝敗退。ジダンを褒めたたえるしかなかったロナウジーニョのように、選手たちは「なぜ負けたのか」その答えを探せずにいる。
国内は敗因探しに躍起だ。最大の戦犯と言われているのが、現時点ではロベルト・カルロス。ジダンのFKの場面で、アンリのマークについていた彼が、そのジダンが蹴る瞬間、なんと、かがんでソックスを直していたと指摘されている。そのためアンリの飛び出しについていけず、ゴールを呆然と見守るばかりだった。ただし、本人はそれを否定している。アンリのマークに出遅れたのは、審判がジダンに、蹴るタイミングの指示を出すものと思っていたからそうだ。
絶対に負けないサッカーはない。しかし、目を疑うような戦いぶりを見たあとでは、敗因をいくつかのプレーや采配のミスにしては終われない気持ちになる。
戦術や個々のプレーが問題だったのか。例えば、ロナウジーニョは揺れていた。「バルセロナでのように、ゴールができないのはなぜ?」と、メディアに問われ続け、ポジションや戦術の違いを説明し続けた。
「中盤からでは、ひとり、ふたりの敵を抜いても、まだペナルティエリアが遠いんだ」。
それでも、「今後はもっと、前に出るようにしてみる」と語る日もあれば、「僕の役目はゴールじゃない。アシストだから」と語る日もあった。
絶好調だったロビーニョは、決勝トーナメント1回戦を前にケガをした。欠場こそ1試合で済んだが、準々決勝での先発も視野に入れていたパレイラは、彼の投入を後半もギリギリのタイミングまで待たざるを得なかった。
精神面なのか。選手はもちろん、あの試合もモチベーションは高かったと語る。そして、経験豊富な選手たちが、チームメイトのストレスやプレッシャーを取り除き、結束力を高めるために、常に気を配っていた。
一方で、いくつかの言葉を思い出す。例えば2002年大会で、当時のセレソン監督スコラーリがアドバイスを得ていた心理学者ヘッジーナ・ブランドンは言っていた。
「ブラジル人選手の大きな特徴のひとつは、“挑戦”という目的がなければ、モチベーションが大きく落ちてしまうことです」。
また、今回と同じく優勝候補と言われ、決勝で敗れた1998年大会のキャプテン、ドゥンガが、当時の雰囲気を語ってくれたことがある。
「いくら優勝候補だと騒がれても、選手というのは試合になると、常にベストを尽くすものだよ。でも、そうした周囲の評価が、少しずつ選手の頭のなかに刷り込まれていくことで、一瞬の隙が生まれることも否定できない」。
■誇りを取り戻すために
CBF(ブラジルサッカー連盟)は、大会中、ワールドカップ(W杯)専用サイトを開設していた。そこには、告知や試合結果等の情報はもちろん、合宿生活のさまざまな出来事をつづった記事や写真が満載で、アクセスした人が選手たちとともにW杯の日々を過ごしている気持ちになれるような、楽しいサイトだった。
敗退した夜、CBFはブラジルへの帰国便の告知を掲載し、その数時間後に、サイトを跡形もなく消した。常設の公式サイトからも、今大会に関するものはすべて消し去った。2006年大会など、なかったかのようだ。そしてサイトには、W杯5度の優勝を表す5つの星が、エンブレムと共に輝いている。今、取り戻すべきなのは、何よりも“誇り”なのだという、メッセージのようにも思える。
帰国したパレイラは語った。
「自分の進退にかかわらず、CBFには2010年に向けたプランがすでに準備されている」。
大会終了の翌日から、ブラジルは走り始めるだろう。ロビーニョやアドリアーノら若手選手たちをはじめ、すでに2010年の優勝を誓う選手たちもいる。セレソンはいかに再生するか。エキサ・カンピオン(6度の優勝)の夢に向けた、新たな4年間の戦いが始まる。
(ISM)
藤原清美(ふじわら・きよみ)
スポーツジャーナリスト。2001年リオデジャネイロに移住、サッカーを中心に取材活動中。ブラジル代表に密着しつつ、選手の取材などで世界各国を飛び回っている。著書「感動! ブラジルサッカー」(講談社現代新書)、訳書「ジーコ 終わりなき挑戦」(小学館)など。テレビでは「OLA! セレソン」(フジテレビ)、「ブラジル発サッカーの旅」(EXエンターテイメント)などを手がけた。2004年ブラジルのスポーツジャーナリストに贈られる「ゴールデンボール賞」受賞。2006年ワールドカップはフジテレビのスタッフとしてブラジル代表の取材にあたる。