多数化を業としている(したい)人間はいくらでもいるだろう。だが「肝心」の真理を体系づける人間の層が薄い気がする(…つまり運動作業の自体少数性)。だとすると‥‥多数化する人間が、窮理を行う人間とは適性が異なるのであれば‥‥(多数化そのものは誰かが行うのであっても)、せめて「窮理の側の負担を減らすこと」を対策としては筆頭に挙げねばなるまい。
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