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窮理を行う人間の負担を軽くするのが、伝達担当者だとすると、世俗から“窮理人”を切り離し、心理的にサポートする人(…マネージャー)を宛がうくらいのことを
いえればいいのだろうが、自分はそれをしたくないというなら、百家争鳴になるだけの話だろうし、
またそうしたリスキーな(虚しいが)ごとき闘争状態をも覚悟すればいいのだろう。
‥‥見ようによっては伝達者が寧ろ、伝達者としての排他的個性・適性を認められず、“左派的均質観”に(先行観念適合的に)抑圧されているのではないか。
また“窮理人”が、そうした伝達作業のソースにおいて見合う人材であるか、同じく翻訳に見合う内容かは、
まずは伝えなければ不可能というのであれば、それはまた悪循環(循環論法)のようにもいえるだろう。