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(回答先: 田畑 稔 『マルクスと哲学──方法としてのマルクス再読』刊行に寄せて 投稿者 サンシャイン 日時 2006 年 9 月 09 日 14:44:51)
言い方を間違えたと思います。
今、現にある一個人が持っている主観に対して何らかの働き掛けができる事が大事なのではありませんか?
自分の中で真理を模索する事が一番大事である事は同意します。
しかし、その模索の内容が誰にも理解できない文章で語られたら?
個人が真理を把握する事が世界の変革に結び付かないとしたら?
我々は2つの作業を同時にしなければならないのでは?
1 真理の追求
2 追求の経過を分かり易く説明する事
この作業を共有しながら進める事が認識運動のあるべき姿でしょう。
この作業を行うにあたっては今現に存在する思考の批判が必要になるでしょう。
この批判がうまくいかなかったら世の中何も変わらないと思います。
多数化とは意識の共有化の事です。
共有化されない「真理」は闇に葬られるだけです。