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(高所問題)
直系と集束
思潮的勢力形成において最高の運とは、諸国・緒論が出揃い、お膳立てされた各派を統一的に編集できるような、
特殊な状況に居合わせることではないか。見渡してそうであると気付く際に、この「情報の掌握」は特定の本家を批判的に承継する教祖や
哲人よりも「強度に富む」はず。それが聖書記述の成立秘話であるだろうし、誘導や、後の出資者は別として、社会主義もコンテンツと
しては、そうした成り立ちであったように聞いている。片やカルトは、もとより宗教内外の寄せ集めか掘り起こしとなるはずで、つまりは創生の時期がズレて、
使用済みを使わざるえないだろうから、後ろ盾に連結しないと泡沫に終わるかもしれない。(…オリジナルのようでも、過去の厚みと迷路の隙間に
埋もれた権威源や資料集を「何処かに」設定し、その文脈で「何十年かで即製」したであろう。)ただ、そういう次元ではなく、
結局は今とどのつまりとして、ゼロから積層する道だけが開け放たれているようにも思える。
これは、繰り出す弾みとして超天才一代で器までは可能ではないか、器に徹するなら。