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>7と8についてはもっと皮相的にどう使っているかを考えていました。
え? 使い方? だって自分としては原理問題しか売ってないんで(笑)
具体をやればやるほど、敵性概念の自他啓蒙になるリスク(期待値)が「大きくなる」と思えれば、怖くて突っ込めないですね。
なぜ原理ばかりやるか。応用部分は秀才が徹底的に整備していて隙が無いでしょう。
目的は、自己の好奇心の満足(…これでも充分に情報の還元にはなるだろうが、)ではなく、
敵の無力化なのですね、正規には(…運動の立場では)。そのために…悪いことをしなければ、
どんな手でもいいだろうけど、勢力で勝てないような相手には…もう
信条や大義といった論理構造を攻めるしかないはずなんです。
敵勢が、実利以外の部分で、仮にロマンチックなイメージを原動力(根拠‥‥最終的には実利)にしているなら、
そこを撃つしかないでしょう…あるいは無意識の人たちのほうも、イメージで行軍させられているはずですよ…止める準備位はできるか)
そんなわけで、いくら支配者でも、オカルトも含め実利とか戦略のプランニングだけでは生きていないでしょう。
どこかしら、「柔らかくてナイーブな妄想」がベースにあるはずですし、そこを射程にしているつもりなんですね。(…路線次元の変更)
>どっちにしても府に落ちてないんですが。(汗汗)
君も言うね(笑) そもそも君は“7に意味をもたせる”と捉えていたはずだ。
しかし今回…造形原理(…非日常的日常の系)が、「意味」に優先される場合があるのではないかと言われたわけだな。
つまり、意味(…陰謀主体の意図)を考える世界の人にとっては特殊な、哲学的な提起を受けたわけだ…。
もしそうなら…答えに近づいている可能性はあるだろう、可能性は。
そういうステップを、何も無かったかに通り過ぎるのではなく、変化は変化として逐次、正直に鋭敏に認めてゆくことが肝要ではないか。
まあ、そこまで言うなら、真正面からかかってこい!(笑)
>絶望を意識化してない人々かもしれませんよ。
たしかに実感として束縛や、もろもろの制約で動物的な窮屈感は覚えるのではないか。
尤も、意識化された(意識としての)絶望(が主要な絶望として在りうるのだとすれば、それ)は感じなくて済むかもしれない。
ところが意識化することで騙されているという実感がともなってしまう…!
「世界」は原理的に(ローカル原理としての“大本営発表”構造だけでなく)王制などで“コロッと、まんまと、ずっと”騙されてきただろう。
被害意識をもつことで、苦痛を原動力とし、門を打ち破ろうとするのが左派の大義…すなわち
運動経済なのだと思う。…ああ、幾つか同時に…直列に話がつながったみたいだ! ←まあ…自分の話なんで‥‥(笑)
尤も…具体的なイメージを頭に描ける状態をよし(ゴール/メリット)とするなら原理論だけではストンとは落ちようがないのかもしれない。