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またわけのわからないことを書いてしまった…‥‥;;;;
「実は持病があるため、怠業をやると大変なことになります」‥‥というのは、
強迫神経症なので、為すべきノルマ(無意味でもしなくてはならないという焦りに駆られる作業)を
サボると、それが雪ダルマのように膨らむということです…。たとえば、家に帰るくらいいいだろうと
呑気に構えていると‥‥その日のノルマが終わらずに‥‥酷いときには何ヶ月か先でも、それら、
書こうとしていたテーマが幾つもプレッシャーになってきてしまうのですね。どうでもいいことを流して
いけない病気なのですが、こんな変な病気が存在することを人に実感として伝えることが難しいわけです…。
あたし自身はこれで何十年か苦しんできたのですが…フィアンセにも、
旨く伝えることが出来ないでいます。「なんだ、それぐらい…」と思われても仕方が無いのでしょうが、
これは大変くるしい症状で、他のことが何も出来なくなるのですね。それでせめて、少しでも役に立つほうへ強迫を
振り向けていくしかないかもしれないのです(…したがって今やっていることは全て強迫とのコラボレーション
みたいなことになっています???)。とくに、症状が強まるとネットぐらいしかやれることが無くなったりして、
テクノ依存症のように(…実際そうでしょうし、)ネットにしがみつくということがあるでしょう。それだもので‥‥
これは修業とか「前向き」な話ではなく、やむにやまれずやっているはずなのです。頭痛がしても、ドライアイで涙が出ても、
風邪で吐き気がしても、PCの時間に、一日の相当部分を割くしかないみたいです‥‥能率なんて不問で。
能率といっても元々「無意味なこと」をしつづけるわけですから…。
(もちろんPCを離れるということは、“業者PC”に依存する自分にとって経済的恩典が計り知れないと思います。
しかし強迫にしろ増員的伝道のチャンスであったり‥商機であって‥‥何より気持ちを吐き出す場所としてネットが、
いいのではと、さながらビジネスの一環であるかにPCを評価するのですが…)
でも、なまじ役に立つことに強迫を使おうとすると‥‥何だ、やればできるじゃないか、とか‥‥
病気というよりも、それは趣味だね、病気は隠れ蓑だね、という言う風にとられると、やはり“遣り辛い”気がします(笑)
‥‥PCの作業から解放されるのは、別の強迫による作業に束縛されて追いたてられているときですね。
たとえば猛烈な写真撮影(今日も集中的に四百三十三枚、行楽で撮っているのではありませんよ‥‥
陰謀の研究だか病気だか、けっこう必死で撮ることが多いです‥‥ないまぜですね)だとか。
といっても、これとて往時の「発作」と比べれば楽勝でしょう。
‥‥それでもですね(笑)撮り方は尋常ではないですよ、プロのように撮り直しも半端じゃなくてですね‥‥。
写真の質としては、どんなにブレていてもいいのですが(笑)、強迫の条件を満たすまでは何度も撮りますね。
1秒のシャッター1枚に、ときには何十分(1時間???)もかけることがあるでしょう。
これはプロと違っていい写真を撮るための努力ではなく、単に病気に命令されているのですね‥‥
電磁波や低級霊のせいにする気は無いけれども…それに近い悲惨さがあるでしょう。
しかし最近は、頭に浮かんだどうでもよいことを大量に記録したり、
どうでもよいものを写真に撮ったりする比較的に軽い症状が中心になっているから、まだ救われるのですが…。
自分でも‥‥入院を要しない他の“精神障害”と比べても‥‥これは大変やっかいな病気ではないかと思うわけです。
この症状(…常時というくらい頻繁に支配してくる…)で苦しんでいるときに、“ちょっかい”をかけられると脆く、
普段は無敵を誇っていようが(笑)、あれ、というくらいダメージを受けるのです‥‥
(それでまあ、あららサン如きに、体の一部を切除したりする羽目に追い込まれたのだとすれば、
それは、この病が大きく要因を占めているものと思っています)
この症状そのものは治らないとして、仕事のストレス同様、誰かに愚痴を聞いてもらえれば、間接的には楽になるはずなのですが、
たとえばフィアンセとは、結婚に向けた明るい話題が中心で、どうしようもなく陰鬱で殺伐とした強迫のことなど(…思わず、
ぽろぽろ言ってしまいますが)本格的にはメールに書くことさえ難しいありさまなのです…。
当のアララさんと文通していたときも、じっさいには病的なものがいやで、向こうが逃げてしまったのじゃないかな‥‥
こちらとしても変なものを送らなければならないような、強迫に襲われたりして?
今そんな人に、ストーカーじみて、アダルトあらし攻撃されているのだとしたら笑うに笑えないでしょう。
‥‥しかし、そういう人に限らず、どうも、甘えているんじゃないか、
生来の怠け者なんじゃないかという印象を、最終的に人に与えてしまうようです。
親も、その疑念にいきついて離れないみたいです(笑) まあこれが「百年戦争」の原因の一つですね…。まあズ抜けて怠け者は怠け者かな(笑)
それで‥‥親との対立や、文明との部分的訣別(…それが都市原人の姿)とは別に、
どうしても、こうした奇妙な生活を続けるよりほかなくなるというわけなのですね。
また、他の簡単なことが簡単に済まなかったり、
簡単なことを大変な努力をしたかに、“たいそうにいう”のも、
この病気がハンディとなり、苦闘する羽目になるからだと思えば、
並みのことが精一杯になる、という事情の当然の顕れなのでしょう。
だから‥‥相当な努力をしていると哀れまれこそすれ、我慢の無い奴だと軽んじられる
覚えは無いと思うのですが、解らないでしょうね(笑)健常者には‥‥?
そしてこの病の患者ごとの、あるいは症状ごとの多様性についても…。
(ああ、カフェを移ることが出来なくなった‥‥ここに
いつづけたら、いったい幾らかかるんだ‥‥最っ低!)
こういうのは、いいわけに聞こえて逆効果らしいですね(笑)(笑)(笑)
そういうこともあって余り人に相談できもせず、一人で…。