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結局、民族というような漠然とした生活様式、価値、信条、言語、伝承、民族「成立」経緯の共有などの不文律よりも
明文法として具体的に書かれている具体的な経典を持つ宗派が強いことは歴然としているでしょう。
強豪の競合においては、陰謀儀礼組織、各種聖典組織、または「大作」理論運動というのが
最大勢力(…の裏、裏のあるそれ)だったのではないですか。
●わるいことには、多くは祭においても戦においても、騒ぎに参加しないと疎外感を受けるということですね。
●しかし祭りはもとより戦についても流儀、共通規格の基礎というものがあるだろうから、規格を学んでどちらかの陣営に対して
内部化してしまってはいくのでしょう、往々にして、恐らくは(対立する2極そのものがが或る一極に偏っているという)自覚の無いまま。