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人は何によりかかるかというと多くは規格であろうし、また厚みであろうし、多少いい加減なところがあろうとも規格が強いのですね。
何であれば答えがあれば迷わなくていいはずで、また何であれ、
そもそも目的を一々設定しないと動けないのが大多数の人間なのだと思います。
この世界は単に絶望なのではなく希望に満ちてもいるでしょう。
なぜなら、本来ひと括りにすると大変な間違いを犯しかねない数多くの運動が、
世俗的な典型的な運動であるというだけで、多数化運動という概念1つで、包摂(一掃)可能に思えるからですね。
>この60年間の祭りは終ったのでしょうか。
…6千年の祭りは1964年の7月の末までに仮に「完結」しました。
そこから「少偶数」の世界(も)が開闢したのですね・・・たぶん‥‥何十年か以内に(すでに)論理的には一掃されています。