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それはもともと多数という概念そのものが、どこに特異点を求めるか、多様な余地に対して恣意的に曖昧な分節のうち、
眼前の(パッと思いつく)1つの多数化方式(多数化世界観)に、伝統的に飛びつこうとして起こることなのでしょう。
或いは仮令、そういった多岐多数化ではないせよ、それに‥‥世界観には或る人間と脳が最小限必要なように、
人数はゼロでは成り立たず、無論「多少は多いほうがいい」ということは
あるかもしれませんが‥‥少なくとも、多数化とは「増員最少確保」を目論むものではないのだと思うわけです。