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活動家にとって一番大切なことは、どこまで活動していいのか、その許容範囲の認識ですね。
それが分からないと、多数化運動をする上で、それを至上命題とする以上、“何か人の道といったもの”を踏み外す恐れがあると思うのです。
それは資本主義の商業競争でもいえることでしょう。
逆にいえば、活動の限度さえ弁えていたら、たとえ失敗に終わってさえ、“人間としての責”を問われることは無いはずなのですね。
活動の悲惨は、多数化したいがために、人を殺したり、脅したり、金銭的集計的情報的な不正をしていくことにあるはずです。
もともとは人間の責を問う革命であるなら「なおさら」、やはりそこを最重視してもらう必要があるでしょう。(…簡単にいうと、そういうものがボトムでしょう)