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縄目の刑
(具体について、深く…)
久田米子(きゅうでんよなご)さん、あっせー! ←挨拶みたいなもの?
>具体的に書けるように成りたいだわ。(汗)
曲がりなりにも、こじつけてでも、いろいろ書くというのは難しいものですね。固有名詞とか、業界用語とか、世俗文化とか、最新情報とか、
極力さけて、なるたけオリジナリティを増して書こうとすれば、なおさらのことでしょう。
(まあ硬くなると書き進められないだろうから、ある程度は具体的に分かりやすい例を用いつつ、
練りの不充分な用語も指摘されるのが分かっていてさえ、あえて見切り発車で使うぐらいでいいでしょう‥‥少なくとも願望を唱えるだけよりも、ずっといいでしょう)
今挙げたの(…固有名詞、業界用語、世俗文化、最新情報)は、具体的な話ですね。世俗の人たちは、具体的な世界に生きるように仕向けられているでしょう。
もともと人間(…自然に対して違和感の無い人)は、生活手段としての「自然の具体細部」に関わって生きていたと思います‥‥
昔は‥‥といっても封建全盛(…現在は後期封建紀)の頃は。
その生活では、自己の必要にもしたがってはいるのでしょうが、当時も「代物納税」を迫られ、労働によって他者の必要に応じて、具体細部と格闘していくのですね。
人が、労働をカスタマイズする(独自に彩るところの…そのものの、)意欲や人情を具体的に持ち込んでも‥‥
それらは別の人の具体的な贅沢に使われるよう吸い上げられてしまいますね。
また、細部は人を縛り尽くせるほどに、細かく指定されているはずです。「そういう規格から外れると互いに嘲笑い、忠告し合う」ように知的肥育されているのでしょう。
しかも‥‥いざ自分が労働代価を使う段になっても、世界は規格で形づくられて身動きがとれず、
また本当に自分本位で選んだり、(素材に投じて)作ったりすることが億劫になるように淘汰の潮流(情報戦)も激しいものと思われます。
商品にしても、宛がわれた商品ラインナップのうちで、例えば車のデザインの微妙な違いに目を釘付けにするよう宣伝されて、
先方が望む具体細部を意識するように買い物をし、そういう代金の支払い方を強いられているようです。
そうした差異(細部の違い)には、それぞれ固有名詞が、きちんと付けられていて(…実在感を高めるとともに)、それには価格帯というランクも伴うはずですから、
商品における固有名詞の違いに、人は非常に敏感に成らされている(馴らされている)、といえなくもないでしょう。
もし、こういう状況を打破しようとすれば、どうするかというと、こういう状況を意識すればいいのですね。
こういう状況というのは、先方が見せたくない部分でしょうから、未だ名前が無かったりするはずです。
そこでこういう状況‥‥こういう構造といってもいいでしょうが‥‥或る図式を
意識していくのですね。これは具体ではなく、すでに抽象化されているでしょう。つまり具象の細部に
目を釘付けにされているという構造(状況)を「抽象」的に意識するというわけです…。
そもそも世俗の人たちは、「抽象」を目の仇にするように育てられていると思われます(…算法などの生産実用的な抽象は推奨されてはいても)。
「理屈」という言い方は、「抽象」が蔑まれている最たるものであるはずです(…かつては特に被支配層の女性に、そういう差別意識を蔓延させたと思います)。
自分を助けてくれる人を、あいつは実は食人鬼なんだと囁けば、人は近づかなくなるかもしれません。当然の如、抽象はタブー視されていると思うわけです
(…当代のタブーとは場がシラける話であると思われ、皆が「引く」という卑近な、
あたかも情緒的問題であるかのかたちへの描写で、場の状況を宣されることで、
(抽象的な「構造(メタ)内容」であるばかりに、)開封せずに片付けられる話題が、
実は非常に‥‥嫌がられる以上に‥‥まさに“反社会的に、重要”だったりするのでしょう)。
世俗の人たちも、面倒なことをしなくて済むというのか、そういう(…需要された)ロジックへイトに乗っかってしまうのですね。
そこに勇気を持って抗う(…玉砕してもしょうがないでしょうが、そういう)ことが如何に、勇気のリスクに見合うか気づかれていないというような…。
まあ具体的なほうがイメージがひろがって、とっつきやすく楽しくはあるでしょうが、そういう磯での楽しい水遊びの
ポケットが、茫洋とした海の牢獄と化してしまう怖さがあるはずなのです。
ラクテンがMマークの手に落ちたとか、(進出が)伸びていそうな不動産系企業に注目とか、また、そもそも「楽」は日(目)を含むとか…
国際金融資本は左が陰謀組織に言及しなくて済む堰だとか…その手の話は具象、個別具体ですね‥‥未だ。
頭のトレーニングとしては、組織陰謀論は、世俗陰謀論と常識規格の中間に位置するのだと思います。
‥‥組織陰謀論は、抽象的な図式を意識しながら、個別具体の規格に沿って陰謀を暴いていくという方向ですね。それは内容としては必要なことでしょう。
しかし、いつまでもそれだけだと、情報コレクターという永劫の部屋を与えられて
自己入力していくだけで、変革活動の力は少ないのだと思います。(…あるいは万人「知らしめ」期待型の「多数化運動」化するとか)
なぜなら、日々固有名詞の洪水のなかでは‥‥それを復唱することが、その固有名詞の
実在感を高めることになるはずだからですね。これでは革命はおろか、単発の滅却すらままならないでしょう。“固有名詞も百万言となえれば実体化する?”
彼らは存在感を啓蒙するために、数字やシンボルやブランドイメージ、(宗教的「偉人」や哲学者・
思想家を含む)タレントイメージを駆使して誘惑してくるはずで、
それ(…思いのほか君臨に寄与するらしい規格力)を即座に無にしてしまえるほどの滅却力が必要となるでしょう。
…つらつらと、そうかんがえるに、たしかに絶望だと思います。
ただ、それは、抽象化の絶望というかたちで、すでに抽象的に(メタ抽象的に)意識(把握)されているランクの低い絶望なのですね。
「伝達内容(伝達細目)‥‥具象」から、
「伝達形式(伝達構造)‥‥抽象」へと。
言葉の壁や、思想の壁によって、人はグループ(ローカル)統合されていると思います。
壁の向こうとこちら側とでコミュニケーションを繰り返して理解し合うのが難しい人と人には、
別にバラバラに信条の壁があるというのではなく、幾つかの対立軸に整理された理解の
壁があるのだと思います。整理された壁というのは、そのように敷設された壁といいかえてもよいかと思われます。
そのひとつが抽象・具象の壁なのでしょうね。具象の「ステージ」に留まる人は(…愚民化というぐらいで)多分、意図的に
抽象嫌い、抽象不得手にさせられているのでしょう。まさかこれだけのアート教育(…生産職人技術トレーニング)を受けて
衆愚につくられているとは思いもよらないだろうし、(世界抽象構造論はもとより、むろん「高度電磁技術系」や、
「オカルト秘儀」などの抽象的にも映る具体にしても、一切教育されていないぐらいのものでしょう…)。
(まあ具体をやる人の勤勉ぶりを見ると怠惰とは思いませんが、抽象から逃げて、抽象への跳躍を恐れ、
躊躇い、辛抱し切れず、問題の解決を、数世代的にでも、遅らせているきらいはあるでしょう…日々勤勉の
反復に埋没してでも「理屈」は嫌というぐらいに、洗脳完了者として職人化しているのですね)
‥‥