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多少規格規範の諸原基
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そもそも“頭脳分野”に秀でるとされた或る人々は、
統合概念を作って、「人間」を一つの“共通規格の存在”へと束ね、
それを以て…「人間」を、(新)規範→“規範集合”へと服属させようとしたはずなのである。
ところが少数の人間が、常に、そこから食み出てしまった‥‥ということではなかったか。そのため、
括り直しをして無理に囲い込むか、存在を“無きもの”とするというのは自然なことと思える。
およそ少数は、
●内部少数‥‥抑圧で処理された人々 ●外部少数‥‥排除されて彼らによって内部には見せられない人々 …という具合に
2手に分けられると思う。よくあろう他者管理の欲望というものは、通常は殊に、主観規格で揃えきれない人間へと向かってきたはずなのだ…。
(その統合衝動は余りに日常的なものとして…大は植民地連合体から小は掲示板自治体に及んだはずでもあるが)
さて、括りきれない少数分断の原理への抗し方というのは‥‥分断吸収の偽装についていえば、
●‥‥無限の概念を導入して擬似的に漸近点への到達的統一を夢想する(・・・・概念としては成立するかに、聊か奇妙な属性を連鎖させての説明)とか。
●‥‥超越的総体の概念を導入して独立性や多様性や予想不可能性を殊更に小さく見積もり、連動や法則の“委細(浸潤)貫徹”の内に
万象を説明しつつ(‥‥という形で‥‥)この場合には、言説の側から本質規定に「晒し込んで」いくという“運動性”があるのではないか。
(→カルト形式)
また、内部少数の規格機能としては、
●‥‥象徴機能
(少数の代表として、それらの人々が内部に在る限りは、全体が全域に達したと見なせ、その少数が自由/安全に視えれば、完全な寛容‥‥完全な理法を
実現したと誇示され得「易い」状況を呈させる機能)を…先ずもって(一先ずは)特筆できるのではなかろうか。
なお、場の条件支配原理を介した状況の形成について言えば・・・それも仮定の“4元素”を挙げるならば、
●反復型的なもの‥‥規格 ●多面同時的なもの‥‥設定、●自然規定的なもの‥‥実在 ●恣意的具体性を代入する余地‥‥以外、
との構成(分節単位における万端への配合)とも成りえよう。
●‥‥原初的排除規格では、例えばゲーム行動規制の象嵌(劇中適用)は、ルールを知る義務さえなければ、排除された者は被害者の「格」を主張できるはずなのである。
●‥‥原初的排除設定の場合に、それは場の指揮者が描く‥‥直前にでも、それは描かれたものであるとして‥‥臨機臨場の理想の要求表出(内外因果)だとする際、
これについては、しばしば全面の指揮を伴おう。(ちなみに・・・・ここでは描写科学を超える営為として描写科学はこれを描出するに他ならないもの、と仮定した)
●‥‥自然的なものは抵抗が弱ければ入り込む為、人為的に自然を排除できる道を選ぶからには、自然の質量口数を小さく本質定義するということであろう。
●‥‥具体の排除は不能に、また具体の完全管理は対象を疲弊させ、
管理の目的(…多数直接造形や徴収)自体の合目的性を消失させることに成りかねなくもなく思えるのだ。“多数意識は自覚多数サイドとする…”
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