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人為淘汰 (組織中枢以外の全員が弱者という捉え方)
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弱肉強食で福祉を切り捨てるとして…。
では、変質者や陰謀儀式担当者に幼女が殺されたら、それは弱肉強食か。
強大な物理的バックを有する者に対しては、そうでない全てが弱者なのであろう。(強大な物理的バックが簡便に利用できる成立状況下で)
では・・・・権勢を見極め、知識を携え、巧みに近付いて良きポスト、より快適な上位階層に就く…
ということが出来ない者が、無能で、怠惰で、無自覚に鈍磨した、死にいくべき弱者なのか。
ところが次なる犠牲者や人身たる政治カードが、もしも名というもので選ばれるならば、この弱者観も違うのかもしれない・・・・。
中枢以外の、中枢近くを含めた全員が実際には時として殺されうる弱者であろう。
しかも殺害理由が占いの類、宗教の類で指定され、能力如何に左右されない場合がまま有るとしたら?
…そこでは弱肉強食の競争すらなっておらず、運命が血で決まるなら、
個で出来る努力でさえも、無意味となる可能性が有るはずなのである。
(未だ弱肉強食を口にする御仁が居られるみたいだが、
弱肉強食という概念自体が条件規定の曖昧な概念策動かもしれない)
弱肉強食の思い込みも、そのこと自体、弱者だからであるとすると、
その者は…或いは弱者をより弱く啓蒙するのに使われている弱者であるのだろう。
そういう情報弱者は、自身はリテラシーを誤ったかたちで刷り込まれて
いるはずだが、そこに気づかず・・・しかも、既に優越感を原動力
として与えてられているならば、それこそが弱者ゆえ
・・・・といえるかもしれないのである。
(弱肉強食は使う者もよく咀嚼せずに使って
いるのだろうが、そういう者が先ず死ねばいいのかもしれない)
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唯の一人であっても、確実に(自然を超える意味での高いリスクで…近日中でなくても)
殺されるのが分かってる場合には、最早その文明でさえ成立していないはずなのである(…大義においては)。
なぜならば全体の本源である、その唯一人を殺す権利が無い限りで・・・・そうなると
慣わしとしては古かろうとも・・・・実は作られたに過ぎないそちらこそが
意義において内的に崩壊するしかなかろうからだ(…ただ目的と
手段との前後の序列を正せさえすれば)。
国家という境界も統一世界とする無境界もが‥‥例えば戦乱の
承認余地を担保している大本には特に変わりは無いであろう。
…1人の少女を殺す前に集合を解体するということ。
…1人の老婆を殺す前に集合を解体するということ。
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