★阿修羅♪ > 昼休み7 > 172.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
キショイ
世俗の一面はキショイという言葉に集約される!?
(キショヘイトには、以下の様な「心理論理」、または暗黙の力学が働いているのではなかろうか‥‥全て仮定)
●…キショイ様態は、なぜ、かくいう結果を現前として生じているのか、わけがわからない。
●‥‥わけがわからないものは危険(な外部…の、接近→肉迫)であり、排除しなくてはならない。
●‥‥わけのわからないものには由緒が無く、自由な恣意にもとづいて排除するすることが許される。
●‥‥わけのわからないものは現に不快を生じている点で、怠惰(…と逸脱を続けたその累積)、
自己監督の不作為や彫塑造形に結果責任があり、そういう付帯条件からみても排除に値する。
●‥‥規格からみて不快であるという事実は、主観的には排除の対象だが、それだけでは行使の大義には
充分でない、だが「不快+わけがわからない不快」という形で倍加すれば、いっそう奇怪なものと処断することが叶う。
●…危険・不快の除去が野生のコミュニケーションの目的ならば、キショイという鳴き声には正統性がある。
●…また実用伝達の名残りとしての空談を、生活規格として維持させるには、
キショサを取り込んで適度な刺激とする本末の反転が起きる。
●…キショサに依存しているという後ろめたさや、親和感は表面化しない、しかし全員に皆無とは限らない。(…指弾側)
●…キショサの排除は、それらの場にホールを作り、自分がそこに嵌まるのではないかとの不安感と不断の努力を強いさせる。
●…したがってキショサの指定は間違っても自分に掠るものであってはならず、また身内を落とすバンカー配置でもいけない。
●…共感という形式を随時満たす必要があるとすると、確実に一致する快不快の安全対象をコールし、意識(化)していくことになる。
さもなくば集合自体と集合がもたらしうる帰属を含む安心、もしくは集合化に由来する個別の自己快楽を保持してはいられない‥‥。
☆迂回累加:「 きもちよくない→わからない→きもちよくないの2 」‥‥