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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu121.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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最近のホリエモンや村上世彰らの東大出身者の
犯罪的行為には、日本国の基盤を崩す恐怖すら感じる。
2006年6月14日 水曜日
◆村上をつけ上がらせた政財界VIP人脈 (ゲンダイネット) 6月6日
http://news.www.infoseek.co.jp/gendainet/story.html?q=09gendainet02026724
儲けるためなら何でもアリの村上ファンドに箔をつけたのが、豊富な政財界人脈だ。
筆頭格の宮内義彦オリックス会長に続く“功労者”は日本銀行の福井俊彦総裁(70)。村上ファンドの設立当初、アドバイザリーボードに名を連ねていた。
「当時、福井氏は富士通総研の理事長として野に下っていた。通産省時代の村上が総研の設立に携わった縁で面識を得たようです」(経産省関係者)
昨年10月に阪神の星野仙一SDとタイガース上場を話し合った席上で、村上が福井氏とともにタイガース新社長候補に名前を挙げたのが、日本郵政の西川善文社長(67)だ。三井住友銀の頭取時代から気脈を通じ、村上が西武鉄道株を買い占めた際には、資金提供を申し出たと伝えられる。
「村上が人脈育成にフル活用したのは『灘中・高』『東大』『通産省』という経歴です。ファンド設立当初、出資に応じたスクウェア創業者の宮本雅史氏は灘高の先輩。福井氏と同時期にアドバイザリーボードだったトヨタ自動車の中川勝弘副会長は、元通産審議官という通産人脈です」(財界事情通)
政界に根を張る人脈も同じだ。自民党の西村康稔(43)は灘高→東大→通産を通じて村上の後輩。かつて日刊ゲンダイ本紙に「村上さんとは10回どころか100回以上、会っています」と話していたが、「取材は一切、遠慮している」(事務所)と知らんぷり。東大法の大先輩になる与謝野馨経財相(67)は選挙区支部に合計40万円の献金を受けていた。自民党の林芳正参院議員(45)は東大同期のマージャン仲間。同い年の片山さつき(47)も東大卒だが、村上は1浪のため、学年は1つ下である。
「昨年の総選挙でも通産OBら7人の応援にセッセと飛び回り、築き上げた人脈を駆使し、最近までファンド規制法案の審議状況を逐一聞いていました。ところが、逮捕情報が流れて以降はナシのつぶて。本人は『みんな避けやがる』と悔しがっていたそうです」(村上ファンド事情通)
さすがに逃げ足は速い政財界のお偉方だが、“総会屋もどき”の片棒を担いだ責任はどう取る気なのか。
【2006年6月6日掲載記事】
◆第16回「ホリエモン・村上世彰ら東大出身者の犯罪的行為にみる亡国性」 6月13日 平野貞夫
http://web.chokugen.jp/hirano/
最初に誤解のないよう断っておく。東大出身者には立派な見識をもって国家、国民のため活躍している人が大勢いることを知っている。私自身、人生の師は東大出身の前尾繁三郎元衆院議長である。
しかし、最近のホリエモンや村上世彰らの東大出身者の犯罪的行為には、日本国の基盤を崩す恐怖すら感じる。ホリエモンは「人の心もカネで買える」と放言した。村上は「金を儲けて何が悪いか」と開き直っている。彼らの経済行為が法律に違反するかどうかという次元の問題ではない。
人間のあり方についての思考が、まったく欠落していることが恐ろしい。おそらく東大出身の同世代を代表する発想で、氷山の一角だと思う。彼らは専門的な法律や経済の知識と情報を駆使する『幼児』なのである。こういう人間を拡大再生産しているのが東大であり、それを見習っているのが有名大学である。偏差値文化で他人を押しのけ、金で幸せが買えるという狂った教育が蔓延しているのだ。
昭和50年代の中頃、東大法学部某教授から聞いた話が頭の隅に残っている。「平野さんには2人の娘さんがいる。東大生と恋愛とか結婚する話があったら、注意したほうがよいですよ」とアドバイスを受けたことだ。このころから、精神的、心理的に問題の多い東大生が激増しているとの話であった。当時は受験戦争が原因かと思ったが、ホリエモンや村上、そして小泉チルドレンの東大出身者などの語りを聞くと、受験だけでなく東大という存在そのものに問題があるように感じる。
私は衆院事務局に勤務していた頃、大正から昭和の初め一高、東大で教育を受け官僚から戦後に政治家となった前尾繁三郎・椎名悦三郎・福田赳夫といった人物から、直接間接に指導を受けた。この人たちの全てを評価するものではないが、心の底にある「左翼コンプレックス」を知ったとき、これが敗戦後の日本を再生させた根本思考だと感動した。それは一高、東大の同級同窓生で左翼運動に生涯を賭けた友人に対する感性であった。
「自分達は官僚として、政治家として権力を握り、それなりに日本資本主義の発展に尽くし、それなりの贅沢と栄誉を体験した。しかし思想信条に生き、貧しい人たちのために一生を尽くした人たちの方が、人間として立派だ」という話をしばしば聞かされた。
前尾・椎名・福田といった人たちがいた自民党政治には「人間の匂い」があった。この人たちが逝(な)くなり、引退した後、自民党の政治は狂ってくる。東大出身の政治家は大勢いるが、自分の権勢欲を追求するだけの人が実に多い。民主政治は少数派の権利を大事にすることで成り立つ、という思想を知っている政治家は自民党にはほとんどいなくなった。東大出身者が「金儲けを目的」とする時代になったからだ。
近代日本を創り上げたのは、東京大学だと言っても過言ではない。それは権力と金について厳しい倫理観を身につけていたからである。最近の東大出身者で犯罪的行為を行っているのは、ホリエモンや村上だけではない。難関といわれる国家試験に合格するためには、人間性を失わせることが条件という日本である。さらに東大に入学するために人間性を歪める人たちが大勢いるといわれている。
近代日本を創り上げた東大が、現代では国家を亡国に導く犯罪予備軍のエリートを育成しているのではないか。ホリエモンや村上に象徴される問題は、東大的教育の重大欠陥を表すものだ。
東大総長、教授陣よ、文句があるなら反論してみろ!!
◆天才≠エリート 5月31日 村西とおる
http://www.policejapan.com/contents/muranishi/20060531/index.html
頭が良くてもスポーツが得意でない子供は沢山いるが、運動能力が優れている子供にバカはいない、英国の有名な小中高一貫教育の入試では筆記試験は行われないのでございます。
ひたすら子供達の運動能力を見極めるのでございます。
小学校入試のレベルの学問能力とは所詮テクニックの分野の問題、真の学問能力を判断するものとはなりえないとの考えでございます。
その子供が将来、果たして国を背負って立つエリートとなりえるか、その基本は運動能力の有無にある、永年エリート教育にたずさわってきた教育者の不動の教育哲学でございます。
松井やイチロー、中田や朝青龍といった一流のアスリートにバカは見当たりません。新庄だって論理的能力に欠けるものの、決してウスラではないのであります。
AV男優の世界でもA級と格付けされるランクにある者は皆賢い者達でございます。女優の性格や容姿、感度に応じてその能力を最大限に引き出し、七転び八起きして顔面シャワーで最後に仕留める、バカで出来る仕業ではないのでございます。
杉村大蔵、彼だってバカではありません。女たらしで打算的で恩知らずで嘘つきでパクり屋なだけなのでございます。
天才、とはいかなる能力の持ち主でありましょうか。
11才ながら大学に学ぶ韓国の天才少年のレポートをテレビで見ましたが「記憶力」は平均的な能力以下の実力でした。10枚のカードを伏せて表だった時のカードの種類を当てる、というゲームでは同世代の子供達の倍の時間を必要としました。
しかし彼が天才である所以の実力は提起された問題を解決するとき、ブッ続けて休みなく12時間も答えを探して考え抜く持続力を見せるのでした。
そのたぐいまれな集中力を持って、「ひらめく」力や「想像力」を発揮し大学院生レベルでも難解とされる物理や数学の難題を次々と解くに至っておるのでございます。
最近、ひらめきや想像力の天才でもない「記憶力」の天才の東大やハーバード卒の青年と会う機会がございました。
極めて退屈な時間を過ごしました。学歴という話題以外に創造的会話が全く成立しないのでございます。彼等は学歴以外に誇るものを持たないコンプレックスのかたまり、が私の印象でございます。
「記憶の天才」バカをエリートとして讃えて国をゆがませ、真のエリートの不在が無数のこの国の悲劇を招いてございます。
(私のコメント)
毎日ワールドカップの深夜のテレビ中継を見て寝不足気味なのですが、各国の試合ぶりを比較してみると日本チームの無気力ぶりが目についた。闘志が顔に出てこないで全体的に消極的なのだ。もちろんゴールキーパーの川口やセンターバックの宮本などは大変だったが、肝心の攻撃陣が飄々とした表情でペナルティーエリアなのにシュートしないでパスコースを探している。
機能も韓国ートーゴ戦を見ていましたが韓国人はなぜあんなに元気がいいのだろう? イングランドの応援団も定評ですが、あんなに大きな声がどうして出るのだろう。それに比べると日本の応援団は数では多いはずなのに、たまにしか応援歌が聞こえてこない。東京の町を歩いていても電車の中でも大声で話しているのは中国人だ。サッカー選手に限らず日本人全体がおとなしいのだ。
これには教育の仕方が記憶中心主義で受身的な教育に終始するから、話したり自己主張するよりも、聞いたり記憶する事ばかりになるから受身になってしまう。だから主体性を育てると言う教育はなされないから、他人から言われた事を一生懸命に記憶して主体性のない日本人が育つ事になる。
日本人にとっては個性的と言われることは褒め言葉ではなく批判的に使われることが多い。変わっているとか変人扱いされる事を日本人は非常に恐れる。他人と考えが同じである事に日本人は歓びを感じる人種のようだ。しかしこれは恐ろしい事であり、10人が10人同じ考えであると言う事は全体主義の思想であり、記憶中心主義がそれを助長してしまう。
主体性のある人間であるならば10人いれば10通りの考えがあるはずであり、10人とも同じ考えと言うのは上から押し付けられた考えで統一されるからだろう。それがテレビ時代を迎えて一層酷くなり、マスコミの言っている事で視聴者の考えも染まってしまって、マスコミがキャンペーンを張れば国民の意見はそれによって統一されてしまう事になる。
日本人は優れた聞き手であり、優れた記憶力を持っている。しかし主体性が無く、自分の意見を持たず、他人と異なることを恐れる。だから違った意見を主張すると回りからたたかれる。ホリエモンにしてもマスコミが称えると時代の寵児になり、検察に逮捕されると一斉にホリエモンをたたく。村上ファンドも同じだ。
ホリエモンも村上世彰も東大出身ですが、東大はいつから知能犯の養成所になったのだろう。平野貞夫氏のコラムにもあるようにホリエモンや村上氏などには一種の幼児性が感じられる。ホリエモンの「金で何でも買える」と言う意見や、「金儲けのどこが悪いんですか?」と言った村上氏の意見ですが、その意見には倫理性や道徳性は感じられない。東大ではそういうことは教えていないのだろう。
東大は記憶力中心の教育機関の頂点ですが、エリートに本当に必要なのは記憶力よりも倫理性や道徳性や創造性だ。ところが東大出身者は記憶力や理解力だけでエリート街道を突っ走ってしまう。しかし実社会で一番必要なのは倫理観や道徳観や想像力の豊かな能力であり、正解のない問題を出されると東大出身者は馬脚を現してしまう。
どのように創造性が付くのかと言うと、一つの問題に対して何時間でも考える集中力を持つことだ。「株式日記」でも一つの問題をじっくりと考え続けないと書くことが出来ない。ところがサラリーマンになるとじっくりと考える時間が持てずに想像力を失ってしまう。定年退職する頃はただの抜け殻であり想像性をつけるのは無理だ。
ワールドカップでブラジルークロアチア戦を見ましたが、試合が中断する事が少なくパスがよくつながる。そして距離があってもシュートを打って終わる。それに比べると日本ーオーストラリア戦はパスがつながらずにしょっちゅう試合がファウルで中断される。だから試合も非常に低レベルの試合だった。日本チームは高レベルのチームとはいい試合をするのだが、オーストラリアのような勝ちにこだわった汚いチームには弱いようだ。
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