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(回答先: おーるさんをしのんで.. 【北の国から猫と二人で想う事】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 4 月 02 日 17:04:42)
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ブログを、随分とサボってしまった。体調も今一歩で、気分的にもすぐれず、株の方もどうやったらいいのか分からない状況であった。こういうときは、どうしても本来のサボり癖、ノラな(ぐうたらな)性分が出てしまう。書きたいことはたくさんあるのだが、何分にも文章力のない自分としては、時間が掛かるし、それでも思うことを十分に表現できないし、ということで、つい億劫になってしまう。まあ、これは天性のものであろう。株と同じように、いくら努力しても、どうしようもないということか?? 残念ながら、人それぞれの得意、不得意を認めざるを得ないということだろう。
ところで、今朝起きると一面の雪景色。テレビでも、日本列島「冬の嵐」とか言っていた報道番組があった。風がないので、窓から見える、塀の向こうに植えてある、庭木用か、低く切った後伸びた杉に降り積もったボタン雪は、そのみずみずしい緑色と相まって本当に美しい。一人暮らしを少しだけ癒してくれる。その雪も、午後からの陽をあびて、今はほとんど融けてしまった。はかない、春の雪。人生の哀れさを感じさせるようである。
先週末の3月24日(金)、「きっこのブログ」で、おーるさんのことを知った。それで、2カ月分ぐらいを読ませてもらった。灯油さえ買えない、水道が凍るような0℃や2℃の状況で、必死で巨悪と戦い続け、意志半ばで、スーパーの駐車場で病魔に倒れた。そして、家族はないようで、母親の死後はずっとひとり暮らしのようであった。死んでも泣いてくれるのは、病気の妹ぐらいだろうと言われていたとのこと。何か、似た境遇のようで、胸にぐっとくるものがあった。私も、なくなったら、妹は泣いてくれるだろうと思う。世を捨てて、世を離れて暮らしている私は、もう全ての連絡先を捨ててしまった。そうして、今の住所を知らせているのは、兄弟達だけである。
彼のブログの中で、「そう言えば、今日はまだ誰とも話していない」とあった。私の場合は、今週はとか、今月はとかになる。何も、芯からの引き篭もりではないのだが。理想的には、草生す粗末な庵のようなところで、最後は野垂れ死にするのがいいと思って、田舎に帰って来たが、なかなか、人間というものは複雑で、今だに、そう悟れない愚かな自分がいることも事実である。
それにしても、彼は、昔ははぶりが良かったようである。しかし、バブル崩壊後の不景気で、まともにそのあおりを受けたようである。時代の流れに飲み込まれた、哀しい人生に、ただ涙するだけである。人はみな、自分だけが特別なように、というか、自分のことを一番に考えているので、自分の人生が何か他の人とは違い、特別の意味を持たっているような錯覚に落ち込んでいる。しかし、どんな偉い人(テレビで亡くなったという報道をされるような、本当に偉い??)でも、ホームレスで死んでいく人でも、私はみな平等というか、人の人生にはそれぞれ軽重はないと思っている。それぞれが、重い人生であると思う。むしろ、後者の人の方が、いろんな経験をし、艱難辛苦をし、どういったらいいか、深い重い人生を送ったのではなかろうか。
彼と私の境遇は、原因は別にして、よく似ていると思う。ただ、彼は、赤貧の中でも、悪と戦い、不況と戦い、日々の生活と、真正面から戦かった。すなわち、彼は人生そのものを肯定していたと思う。この点は、はっきりとそうは言えないと思う私とは違っている。しかし、人生に疑問を持たず、必死に生きたから、彼は幸福だったかもしれない。そうして、最後には、多分、あまり苦しむことなく、天国(もし、あるのなら)に召されたと思う。真摯に生きた彼への、ご褒美だろう。昨年の暮れに、私の母が亡くなった時にも、そう思った。人が死ぬということは大変なことである。神(もし、いるのなら)は、簡単にはなかなか人を死なせてはくれない。ふと(いつも考えていることではあるが)、昨日、判決のあった尊厳死を思い浮かべた。もし死後の世界というものがあるのなら、切に彼の安らかな眠りを願う。
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