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(回答先: 貨幣論は必要だとは思うのですが危険な気もします。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 4 月 29 日 23:56:51)
ワヤクチャさんお久しぶりです。
このところなんとなく力が抜けて、書くことに気合が入らない状態です。ウツという状態ではありませんが、家族はもう年だから無理をしないほうがいいと言ってくれますが。そんなこんなで土日は仕事から解放されています。私もまだ現役の経営者かな?そこで土日はパソコンに向かい貨幣論を書かなければという気持ちも湧かず、ひがな一日犬を相手に遊び、唯一の楽しみとしてビデオの映画を観ることになってしまいます。
ですがワヤクチャさんが以下のように考えている。これは間違いです。
>貨幣は交換をスムーズに行う為の道具でありこの道具が不要になるようなシステムを私は想像もできません。
J 簡単に言えばこの逆でしょう、貨幣は過去の時代の物々交換からの起源を持ちます。物々交換をスムースにさせるために出来たものであり。飛躍しますが、物々交換時代においても利息を取っていたという考え方があるという人がいましたが、一言で言えば利息とは時間的な流れの中で増えていくものであり、物々交換においては時間的経過は不必要とされます。そのことにより物々交換では利息分は発生しないはずであり、余計な物を取るとするならばそれは手数料という意味になるかと考えます。
そこで物々交換から貨幣を仲介者として交換をスムースにさせる以外の悪しきものは何なのかと言うことになりますが。それは株取引(株式会社)・為替からの利益、商品相場による先物取引、それ等は貨幣の発行しすぎから来る金が金を生むという、貨幣が発明された時点では考えられなかった現象が資本主義という最悪の状態の中で起こってしまったと言えます。当然そこでは富(人間の労働(サービス)と財としての商品)の偏りが起こります、市中からは貨幣が偏った方向(蓄蔵)に集まり、結果的に市中の貨幣が不足しデフレ現象となります、そこで貨幣の不足分を補う形として偏ったところに集まっている貨幣を国債という形で吸い上げ市中(ここでは銀行)にばら撒きます、銀行は市中に不足している分を利息を取らなくては貸し出せないところから、もっとも手っ取り早い方法として消費者金融(サラ金)を使い市中にばら撒きます。そこでは利息分が偏った方向に流れていき、市中に貨幣が不足するという悪循環が繰り返されます。金の無いものはよりマイナスの金を持つようになり、金のあるものは通帳残高によりゼロが多く並ぶという現象です。
>「貨幣=労働の搾取の手段」というような貨幣悪玉論になった所で対案を提示するのは至難の業でしょう。
J この場合の対案は非常に楽ではないですか。反論をすればいいことだし。
>それは燃料を入れずに車に乗ろうとする行為に思えます。
この続きは議論板ででもしますか?
もし、レスが必要であればですが。
いえあまり乗り気もありませんが。何せ今まであまり出来なかった映画鑑賞が現在の私にはぴったりです。ただここに書いた文だけ解凍すれば大きな文章に化けます。そして通貨は最終的に財とサービスに向かいますから信用を失ったときの刷り過ぎ分は財とサービス(労働)の不足分となりインフレとなります。それは貨幣が持つ本来の物(労働)と物(労働)の交換の仲介者だけの物でしたから。
大雑把に書きましたが、このくらいで。