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>デラシネさん
久々に「感心できる意見を読んだような気がします。」
>【俺が刺したコンパスの針を、Kさんが自分の任意のところに刺しかえれば、当然円は重ならない。】
と言う意見を読んだ瞬間に「今まで、感じていたスッキリしない現在の議論制度の問題点が氷塊したような感覚を覚えました。」
これは、多分、一時的な感覚であり、分かったところで解決方法は難しい種類の問題なのでしょうが、感覚的に理解できれば、いずれは何らかの解決方法も提起されるでしょう。
Kに「詭弁を使用しようと言う作為」はなくとも、Kの主張に詭弁に近い手法があったと言うことは常に存在する事実だろうと思います。
ディベートという技術論があり、過去に「詭弁として喝破された手法」でなくとも、技術は常に進化し続け、詭弁という技術は議論においては常について回っています。
ですから、デラシネさんの言う
>【何度も言ってるけど、基本的に俺は言葉を信じない。どんなに見事に構築された論理であっても、厳密には詭弁だったりする。議論がめったに噛み合わないのは、皆が皆、言語至上主義者だからだ。言葉は概念であり、相互に概念が異なれば、最初から話にならない。】
というのは、確かに正しい部分が多いのだろうと思います。
Kには、倫理構築に走る習性があり、言葉に頼る習性もあります。なんせ、自分自身で「少しおかしい」と思いつつも、「この理論が論破できないのだから、納得しなければ仕方がない」と「自分を誤魔化しながら、理論によって態度を決定する」という輩ですから、こんなバカ野郎は一寸いません。
まあ、ですからKは常に「綺麗に論破されて負ける事を望んでもいます。」そうすることによって、自分のランクが一歩進化したような満足感が得たいという自虐的とも言える性格も有しています。これは、そのような時に「脳内麻薬が分泌されて、良い気持ちになれる」と言うことなのかもしれませんが、まあ、内在する欲求はK自身にとっても把握し切れていないのも確かです。
簡単に言えば「浅学非才のカス」と言うことです。(笑)
ただ、今回の問題は「阿修羅の投稿制限」という問題も絡みますので「単なる言葉遊び」という部分だけでは、不十分です。最終判断は「管理人さんの判断」でしょうが、阿修羅の常連として、何らかの結論を出さなければ無責任ともKは考えています。
このような場合は、出来る限りの視点を示して、より正しい判断を「管理人さんにしてもらう」と言うことをKは「協力」と考え、「阿修羅住民の義務」とも思っています。
今回のKの意見は「デラシネさんを論破しよう」という意図もないとは言いませんが、どちらかと言えば「デラシネさんの論法に何も考えずに誘導されてしまう人に、気づきを与える」という意図によって書かれています。
簡単に言えば、アジ演説の横でアジ演説をしているような物でしょう。
「憲法改正は必要」と言う人の横で「憲法は守るべき」とビラまきをしているような物と行った方が分かりやすいのかもしれません。
期せずして、デラシネさんからレスが返ってきましたが、内容的には「かなり感心しています。」
いくつかの「考えさせられる意見は、Kの中で消化したいと思っています。」感謝しておきます。m(__)m