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(回答先: 金十字架 削除依頼 投稿者 M総合研究所 日時 2006 年 5 月 09 日 09:23:32)
誤解を招いたのは私の所為だろうからそこは深く頭を下げよう
すまない
ただもうひとつだけ言っておこう
あなたが紹介されるその著者、著書に
「絶対の自信」があれば
いくら有象無象が何を言おうが
あなたは反論もしなくともよい筈だ
もし貴方自身、その情報の根拠たるを自身に無く
また自信もなく
あなたが実はそれを不安なまま提供するというのなら
その危弱なニュアンスは人にも伝染するだろう
あなたに対しては以上。
私は過去目にした、冠をぶらさげた思想家、著述業、研究家の著書の中にその殆どに危うさを感じとっている。あくまでも私が目にしたものだけだが。
私は滅多なことではそうした他人の考えを人に薦めないし、自身も吸収しようと思わない。よって読まない。
自身の体を通して得た経験から生まれた問題を
自身を迷わすことのないように追求する。
また私は経験からしかものを言わない。
それは経験後に、それが何であるかを訊くことは面白いからである。
何を手に掴まされようが、経験が勝っている故、迷わず、うなづくものだけにのみ道理を得る。
よって決まりごとのように「迷う」ことをしなくても、
人は「知るべき事を知る」意識さえを正しく、自身がとらえてさえ居れば、
いずれそれが何かを知り、それを得られる、という事を知っている。
出会いをただ感謝するだけに終始する。よかれあしかれすべてよい出会いと覚える。
他人がなにからヒントを得、何を考え、何を得るかは他人のすることだから私は感心を持たないことにしているが、少なくとも私の目に触れる場所で「!」と何か胸の苦痛に似た物感じた時、私が我慢しない時を除き、口を出すことはあるだろう。目につくように。
私が嫌うのは真実を捻じ曲げて隠そうとすること、また、真実を誇大に宣伝し売り物にすること。
私の嫌う彼らは、大衆心理を突き、人々に幻想を見させ、同じ幻想を共有させることに長けている。それは個々の意思の自由度を尊重しない。
「営利目的の"反宗教"団体」となんら変わら無い。
仮に真の宗教団体があるとして、その目的は、個々の人の意思の成長をただ見守り導くことに尽きる。つまり個々の意識が自らを先導しなければ、まともなことはなにひとつ学べない。宗教団体に入ったからといって、その人の日常が突然変わるわけでもないし、何かを教わるからには真摯に取り組み、考え、日々を精進すべきものである。それが間違っていれば教え諭してくれるものであるだろうし、ただ金を払っているからと態度悪く、何かを寄越せという者にはいつまでたっても何も開かれないままだろう。
人が自ら進んで、惚れた相手に尽くすことは何も悪いことではない。しかし惚れもしない相手に尽くすことは私は理解できない。私は神に惚れている。惚れているものの前では全てをさらけ出せる。またこうした恥を反省するだろう。
横道にそれた。
彼らの鼻が利くのは真実ではない。その大衆としての心理を誘拐することに、である。
彼らは本当にただ無知だが、その無知さもまた大衆性として認識されていることを知っている。そこに巧みさがある。
一度たりとも叙情的世界に陥れば、人たるもの、なかなか抜け出せないことを知っている。
私は小説を面白いと思ったことが無い。よって時間の無駄なことはしない。
何もせずただ山に行き、またお堂の中で、忽然と座っている方が多くのものを語ってくれる。
小説と称する「別物」にはいささか興味を持ってはいるが、
まったくの作り物が人々を魅了することに私は理解をもてない。
彼らはその著述によって、
可能なもの、出来るもの、開けているもの、知られているもの
の存在のすべてを、
不可能に近いもの、出来そうにないもの、閉じられたもの、難解なもの
に変換して人々の脳内に送り出す。
いらぬ謎解きを付録として。
またその無知さをひけらかして、真実を改竄することなど屁とも思っていない節がある。
あるべき場所の道しるべを無知と恐れず、抜いては挿し、抜いてはまた挿しするごとに、彼らの名声はますます数と結びつき、大衆性をマークする。
彼らは常に人々が何に恐れを抱くかについて、
またそれが如何に商売に結びつくかを計算の上で
クンクンクンクン回っている。
だがそのことに恐れを抱かない彼らは本当にモノを知らないばか者どもか、ただの商人のどちらかであることは確か。
自身についてのみ書けばよいものを。
彼らにかまけてヒャクジジュンレイなどしている場合ではない。
何をみつけようというのか。
下らぬことはこれでおしまい